2009年 ≪宿泊≫ 【1月】 ★三重県飯高町 【現・松阪市】
初の軽トラ泊まりがけ。往路での天辻(てんつじ)峠(奈良・大塔村【現・五條市】)と高見(たかみ)峠(奈良・東吉野村⇔三重・旧飯高町)の付近では積雪もあり、恐る恐る慎重に通過。バイクならば間違いなく無駄足になっていました(この日を含め数日間は、強い寒気の影響で北風が強く雪も降りました)。 ・2日目 芦浜から錦(にしき)の集落に戻ってきたのが17時くらい、夜の帳が降りつつありました。とりあえず話を聞こうと集落内の民宿を訪ねると、数年前に来たばかりであまりよく知らないとのこと。その後、近所のあちこちに訪ねて回ってくださり、数軒目でようやく話を伺うことができました。宿の方に感謝です。 ・3日目
【3月】 ★神奈川県津久井町 【現・相模原市緑区】
・1日目 用事があり、故郷神奈川に帰ることに。せっかくなので、近辺の無住集落を見て回ることにしました。 ・2日目 ・3日目 ・4日目 この日の終盤、老朽化していたハンドルの右グリップが外れてしまいました。このままではエンジンが吹かせないので、旅先で初めてJAFのお世話になることに。もう日暮れだし、今日は終わりにしようとのんびり到着を待ちました。到着後、日光市内の修理店まで運搬することに。ところがJAF側と店側の連絡に齟齬があったようで、整備店に到着後、怒った店主がJAFに不平を漏らしていました。まったく準備をしていなかったようです。JAFの方も言い分はあるのでしょうが、ひたすら平謝りです。しかし店主は私には親切に接してくれました。ことさら旅人には親切な方のようです。JAFの方も決して悪い人ではありませんでしたが(むしろ良い人)、なんとも人間関係の大変さを垣間見た気がしました。 ・5日目 ・6日目 この日は夜明けから雨。ラジオやCDを聴きながら、テントで停滞していました。昼頃に雨が上がるという予報でしたが、それより早く10時くらいには出発できました。時間はロスしましたが、移動中に降られるよりはずっとましです。 ・7日目 原仁田の探索を終え、足利市を後にしたのが午後1時前。和歌山の自宅に着いたのが翌朝8時過ぎでした。約19時間、多少の休憩はとりましたが、後半は気力だけで辛うじて走っていました。
【5月】 ★岐阜県白川村
・1日目 ・2日目 荘川村・白川村は分水嶺を越え日本海側になります。長らく太平洋側で暮らしている私にとって、川が北に流れているのはどうも不思議な感じがします。 ・3日目 ・4日目 ・5日目 ・6日目 門入・戸入は徳山湖周辺の集落ですが、徳山ダム方面からの道はなく、旧坂内村より越境し山道を歩かなければ訪れることができません(峠までは林道が延びている)。峠から門入まで1時間、門入から戸入まで1時間半、そして帰り道、ずっと歩き通しでした。 ※ 集落内の車輛は、ダム湖で隔絶される前に残したもの
【8月】 ★茨城県大子町
・1日目・2日目 出発当日の仕事中、軽トラのタイヤがパンク、機械の部品が紛失、工具が破損、などといった失態を繰り返してしまい、何かの前兆かと心配しました。その後2度の地震(うち1回は静岡で震度6弱、東名高速が崩落)と台風8号・9号がありましたが…、偶然なのでしょう。 ・4日目 ・5日目 滋賀県の榑ヶ畑(2008年7月)以来、加勢・湯ヶ滝・追原などでまたもやヒルの被害に遭いました。今回はヒルの巣窟を何度も行かなくてはならなかったので、その被害は前回の比ではありません。帰宅後に咬み痕を数えてみましたが、30箇所以上もありました。私は足のない虫は苦手なのですが、いい加減ヒルだけは慣れました。靴や足にくっついているのを見ていると、何やら愛着さえ湧いてきます。 ・6日目 この日幕営は、林道脇で街が見下ろせる場所でした。街の明かりもさることながら、9時前にはどこからか花火が上がっていました。前日の宿泊が落ち着かなかったせいもあり、野宿の良さを見直した夜でした。 ・7日目 下七尾で話を伺っていると、ここはいい所だけど行政の目が行き届かず、集落が無人になっていくことが寂しいという話を聞きました。私の趣味に触れて、これが何かのきっかけになり、もっと目が向けられるようになると嬉しいといった話が印象的でした。
【9月】 ★京都府京北町 【現・京都市右京区】
・1日目 この日の終わり、翌日訪問する集落に近いの道の駅まで移動。周辺で集落の話が聞けたらと思っていました。しかし日も落ちてすっかり意気沮喪です。だめで元々、聞かないよりはいいかと、たこ焼き屋台の男性に話を伺ってみました。 ・2日目 ・3日目 集落旅行中、初めてクマを目撃―。大田和(高浜町)へ向かう途中、谷の分岐で位置を確認、さて歩こうかとしたところ斜面でガサガサと音がしました。振り向くと、そこにはもこもことした黒い獣が…。幸いすぐに走り去っていきましたが、10mも離れていなかったと思います。大きさからして子グマのようでしたが、子連れのクマは危険らしいので私も早々にその場を後にしました。
【10月】 ★愛媛県伊予三島市 【現・四国中央市】
・1日目 (フェリー) 法皇湖の水没集落の話を伺おうと、湖畔にある展示施設を訪ねました。受付の方に事情を説明すると、多くの資料を提供していただいたうえに資料のコピーにも快く応じていただきました。併設のレストランで閲覧をしていたのですが、このレストランの方も地元の方で、集落の話や未チェックの集落の大まかな場所も教えていただき、たいへん助かりました。 ・2日目 ・3日目 この日の終わり、愛媛から高知に移動している時に弱い雨が降り始めました。道の駅に到着後、地面が濡れていなかったので木の下に幕営。その後雨はしっかりと降り始め、8時頃にはテントの底がブヨブヨと波打ち始めました。しかし一晩くらいどうにかなるだろうと高をくくり、気にせず眠りに就きました。 ・4日目 夕べに引き続き朝から雨。少しの止み間に長又を訪れましたが、道の駅に戻ると再び降り始めました。午前中いっぱいは止む気配がありません。便所の前でぼんやりとしていても仕方がないので、愛媛の西条市まで戻り図書館で調べ物をして過ごしました。 ・5日目 この日は道の駅にあるホテルにて宿泊。長期の旅だったので、1日くらいは宿泊施設に泊まろうかと思っていました(前日のほうが賢明でしたが)。洗濯をしたり、広い部屋を独り占めできたり、受付の別嬪さんに感心してもらえたり(?)とメリットは大きかったのですが、気持ちが慌しかったのかあまり実感が湧きませんでした。 ・6日目 ・7日目 大字和田の集落はなぜか地形図での誤記が多く、話を伺いながらも辻褄が合わず混乱していました。なぜこのような手違いが起こったのかは分かりませんが、これだけ多く集中しているのも珍しいことです。 ・8日目 (フェリー) 蛇野では、在住の方が朝方に不思議な夢を見たそうです。いつもは目が覚めない時間に目が覚め、再び寝入った時だとのこと。私のような物好きが訪れる前兆だったのでしょうか。おいしいお茶、ご馳走様でした。
【12月-2010年1月】 ★鹿児島県名瀬市 【現・奄美市】
・1日目・2日目 (フェリー) フェリーでの旅は、ひたすら退屈との戦いです。また老若男女入り交じっての雑魚寝は、少し落ち着きません。繁忙期の混雑とはいえ、あれほど隣どうしが密着しているとは…。 ・3日目 (フェリー) 未明から降り始めた雨が続き、この日はずっと弱い雨が降ったり止んだり。バイク&無人集落&テント泊の旅行で、雨は憂鬱の種です。しかし奄美などめったに来られる場所ではないので、雨に濡れながらも奮起して探索に勤しみました。なおこの後も通り雨を含めるとほぼ毎日雨が降り、この時期の奄美の不安定な天気を身を以て感じました。 ・4日目 ・5日目 ・6日目 福元の話を伺おうと名音(なおん)で話を伺っていると、いつの間にか戦時中の生活の話になりました。この時は何気なく聞いていましたが、後になって思い出すことに…(後述)。 ・7日目(以下2010年) (フェリー) 請島の池地では、集落内のいたるところに棒が立て掛けてありました。正月の儀式的なものなのか、疲れたときの杖なのか。何やら軽トラの荷台から子供が引きずって遊んでいます。後で知るところによると、これは通称「用心棒」というもので、ハブを撃退するためのものでした。取りあえず、私も似たようなものを持ち歩いていますが…(叩けばいいのだろうか?)。 ・8日目 (フェリー) ・9日目・10日目 (フェリー) 志布志―大阪のフェリーでは、夕食に食堂のバイキングを利用。食器の返却場所の近くの席で何気なく食事をしていると、バイキングにも拘らず次々と残飯が運ばれてきます。ここでふと名音の方の話(前述)を思い出しました。「戦争中は○○みたいな物でも、1日1食しか食べられなかった」「今はおいしいものがたくさんあるけど、もったいなくて食べられない」「ごちそうを見ると、涙がぽろぽろ出る」…。時代の流れなんだなあと、しんみりした食事になりました。 ※補足1 奄美の段々畑(古いもの)は、段の縁にソテツが植えられているのが特徴的。段地の保持(石垣の役割)・防風といった目的があり、食料不足の時には根・茎を食料にしていたという。戦時中は食料として頻繁に供されたが、十分に毒を抜かなかったため中毒になる人も多かったという。(地元の方の話より) ※補足2 奄美では、人の集まるような場所(集会所など)で頻繁に土俵を見かける。これは豊作を祈願する祭りの中で、儀式的に相撲の取り組みを行う文化があるため(豊年相撲)。時代の流れで規模は小さくなっており、また相撲を取る側の意識も消極的なものになっている。大相撲であまり出世しないのは、体格で負けてしまうからだとか(地元の方の話より)。その中でも徳之島出身の旭道山は有名。
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≪日帰り≫ 【2月】 ・津荷谷(和歌山・本宮町【現・田辺市】)
【4月】 ・請川谷 (以下和歌山・本宮町【現・田辺市】)―松畑茶屋―松畑 松畑茶屋は熊野古道沿いの集落跡で、整備された古道を歩いて向かうのが無難です。しかし請川谷を見たあと、古道入口まで戻るのが面倒だったので、地図を頼りにそのまま山中を通り松畑・松畑茶屋へ向かいました(迷いやすく、道は所々荒れていましたが…)。茶屋跡にはたまたま松畑出身の方が訪れていたのですが、脇からにゅうっと現れた私をたいへん珍しがっていました。しかし詳しい話も聞けた上に缶ジュースもいただき、収穫があったのは嬉しいことです。
【6月】 ・細峠(以下奈良・吉野町)―雲井茶屋―恋の谷―津風呂湖周辺(上津風呂―下津風呂―鬼輪)―花瀬―大平―谷ノ奥
【9月】
【10月】 ・東の河・西の河(和歌山・龍神村【現・田辺市】)―畝谷(以下奈良・十津川村)―南股
【11月】 ・音枝・中音枝(以下奈良・下北山村)―大瀬―前鬼口―成瀬―古代(上北山村)―中央地区(中平・鳥渡り・深瀬・芦瀬・野平・戸賀) 前鬼口到着後、財布を忘れたことに気が付きました。帰りのガソリンが足りないことはほぼ確定的、予定していた前鬼や中央地区以北にも当然行くことができず、憮然と帰路に就きました。その後ちょうど田辺市(本宮)に入ったところで燃料切れに。行きつけの自動車整備工場にJAFで来ていただき、無一文ながら事なきを得ました。
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