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◆前鬼(ぜんき)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「釋迦ガ嶽」(昭和29.3)を使用したものである

所在:下北山村前鬼
地形図:釈迦ヶ岳/釈迦ヶ岳
形態:山中に家屋が集まる
標高:約800m
訪問:2009年10月

 

 村の北部、大峰(おおみね)山脈の麓に位置する。大峰山中の修験者の先達を務めた由緒ある集落。
 訪問時は宿坊の主人がおり、挨拶すると様々な資料を見せていただいた。以下は、それぞれの資料から内容をまとめたもの。


下北山村前鬼は、約1,300年前に夫婦の「鬼」であった「前鬼(ぜんき)」「後鬼(ごき)」が住み着いた地。役小角(えんのおづぬ)(=修験道の開祖)に、大峯奥駈修行をする修験者たちの道案内や道の整備、食料の供給などを託されていた
前鬼と後鬼には5人の子供がおり、それぞれ鬼上(きがみ)、鬼童(きどう)、鬼熊(きぐま)、鬼継(きつぐ)、鬼助(きすけ)と名乗っていた。その後、これら五人の子供が役小角の教えのとおりに、修験者の世話を行うために、それぞれ中ノ坊(鬼上)、不動坊(鬼童)、行者坊(鬼熊)、森本坊(鬼継)、小仲(おなか)坊(鬼助)(写真2)の五つの宿坊を構えた
明治の初め、苗字登録開始の折にそれぞれの名に「五」をつけて名乗るようになったと聞く。後の五鬼上(ごきじょう)・五鬼童(ごきどう)・五鬼熊(ごきくま)・五鬼継(ごきつぐ)・五鬼助(ごきじょ)5
五鬼上家・五鬼童家・五鬼熊家が、明治の終わりごろに転出。五鬼継家も昭和38年に転出し、五鬼助家の小仲坊だけが残る。昭和59年、宿坊の主人(現在の61代目主人の叔父)が亡くなり、前鬼の住民が0になった
五鬼熊家・五鬼童家は岡山県に移った記録があったが、子孫は早世したという記録も見つかり、両家は断絶したよう。五鬼上家・五鬼継家は県外に現存
現在の小仲坊の主人は61代目(五鬼助氏。昭和18年生まれ)。先代を遡ると、本人→弟→叔父→父。父の代では田畑を耕し、半分自給自足の生活をしていた。宿坊だけでは生活できず、林業も営んでいた。


 また伺った話では、昭和36年車道(現在の車止めの位置)と川沿いの山道が開通、平成2年集落まで林道が開通した。それまでの旧道は、西(にし)の谷付近より北の尾根に登り、北に突き出た尾根の鞍部を越え集落まで降りるという長く険しいもの。通学のため里に降りて暮らしていたが、正月など時々家に戻ることもあった。

 大字前鬼は近世の吉野郡前鬼村。明治22年下北山村の大字となる。明治9731人。宿坊のほか祈祷寺1寺と上野神社がある(「角川」より)

 


写真1 五鬼助家(住居は中央やや右)

写真2 五鬼助家宿坊(小仲坊)

写真3 行者堂

写真4 屋敷跡(五鬼上家)

写真5 屋敷跡(五鬼童家)

写真6 屋敷跡(五鬼熊家)

写真7 屋敷跡(五鬼継家)

 

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