◆櫨原(はぜはら・はぜわら)
※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「冠山」(昭和33.5)を使用したものである
所在:揖斐川町櫨原
地形図:美濃徳山/冠山
形態:川沿いに家屋が多数集まる
離村の背景:ダム建設
標高:約350m(水面は約400m)
訪問:2009年5月
徳山ダムの人造湖(徳山湖)に水没した集落。
徳山小学校櫨原分校・徳山中学校東谷分校があった。氏神は白山神社。
なお大字櫨原は近世の大野郡櫨原村。明治22年池田郡徳山村(明治30年揖斐郡)の大字となる。明治2年20戸156人、同14年31戸212人、同22年31戸221人、大正9年35戸173人。昭和50年60世帯151人(「角川」より)。
扇(おうぎ)谷付近の湖畔には「櫨原望郷之碑」(平成19.12建立)があり、地図とともに略史が刻まれている。以下はその全文。
櫨原集落略史
当記念碑は、眼下の湖底に眠る部落には歴史にも名高い仁田四郎由定公、没したとされるなど伝説も多く我々に言い伝えとされてきました。
「向いの山の上を引き均し、そこへ部落を移す」と言われた、その予言通りと成った現在(鳥山神社と称し崇めている)石碑を残し部落を去る事は言葉に言い表し様のない心境です。但、伝えし事は石碑を後生に亘って永遠に此の地に安置する事を願い其の証として記す。
此のダムは多目的ダムとして昭和三十二年から計画がなされ、半世紀を要して平成十九年に完成。
此の部落を縄文時代より段階を経て開拓をし生活を営んできました。御先祖様には心から感謝するべく、五十九軒、新世帯者の移転の証として此処に記念碑を建立する。
櫨原集落住民一同
平成十九年十二月吉日 建立
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