◆平滝(ひらたき)

※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「男體山」(昭和21.2)を使用したものである
所在:沼田市利根町平川(とねまちひらかわ)
地形図:皇海山/男体山
形態:川沿いに家屋が集まる
離村の背景:産業の衰退
標高:約950m
訪問:2009年3月
村の北部、泙(たに)川の上流にある。砥沢・源公平・津室などと同様足尾銅山関係の林業集落で、事業地に開かれた集落群は総称して「根利山(ねりやま)」と呼ばれる。 。
現地には「平滝小屋」(写真2)や集落の記念碑(写真3)、小さな神社(山神社)(写真6)と灯籠などが残されている。以下は碑に書かれた文章の全文(※)。
短夜や 障子ふるはす 瀑の音 風可
コノ郷ハ足尾銅山ノ用材供給地トシテ明治卅六年ヨリ昭和十三年マデ約四十年間古河私有地トシテ事業ガ続ケラレマシタ 美シイ自然ト温カイ人情ニ抱カレタ平和ナ別天地デシタ 其ノ後此ノ地ニ関係シタ人々ガ根利山会ヲ作リ毎年集ッテハ旧交ヲ温メテイマシタ 当時ノ古河社長来山ノ折平滝ニユカリノ句ヲ作ラレタノデコレヲ刻ミコノ記念碑ヲ建テマシタ
昭和五十年 八月 根利山会有志
※ 2013年5月、当地を知る方よりメールをいただき碑文の判読できなかった部分が判明しました。この場を借りてお礼申し上げます。
村誌および資料『幻の集落 根利山』、書籍『古道巡礼』によると、事業の開始は明治31年。足尾銅山では、乱伐と山火事により明治20年代に入って山林資源が急速に涸渇し始めた。そこで用材の必要性に迫られた古河(ふるかわ)鉱業(足尾銅山を経営)は、新たな山林資源を求めて皇海山(すかいさん)南西に根利林業所を開設し、後の「根利山」が形成された。平滝は砥沢に次ぐ中心地であったという。
根利山は足尾小滝の銀山平から通じる鉄索により結ばれており、平滝から通じる路線は次の3本。
・砥沢−平滝間(平河索道)
明治39年完成。津室に中継所が設けられ、ボイラーが置かれていた。また八丁(はっちょう)峠・延間(えんま)峠・丸山(まるやま)峠に見張小屋が置かれた。
・平滝(大崖平)−広河原間(広河原索道)
大正12年完成。さらに広河原−浅見沢間(浅見沢索道)が大正14年に完成した。
・平滝(大崖平)−唐沢間(唐沢索道)
大正15年完成。
『幻の〜』に記載の「平滝略図」(もと住民の記憶から作成されたもの)には、所員社宅・鉱夫社宅のほか事務所(医局併設)・学校・索道停車場・クラブ・商店(エビヅカ)・学校寄宿舎・テニスコート・ポンプ小屋・炭小屋・倉庫などといった設備・施設が記されている。また別の住宅図には、住宅としては所員社宅・鉱夫社宅があったことが分かる。さらに村誌によると簡易な寺(説教所)もあった。
このうち「エビヅカ」は日用雑貨等を扱う商店で砥沢にも店舗を構えていた。「クラブ(倶楽部)」は住民の娯楽施設で、芝居・映画などが催された。
学校の開設は明治42年8月(東村小学校の分教場)。行政的には本校の管轄下であったが、校舎建設、教材・消耗品等の経費、教員の給与などは古河鉱業の負担であった。なお遠隔地の児童のために寄宿舎も設けられ、冬季はここに滞在し通学、週末に帰宅するという生活をしていた。
事業の終了を控えた昭和13年に閉校。以下は児童数の推移。
(明治・大正)
明治42 |
明治43 |
明治44 |
明治45 |
大正2 |
大正3 |
大正4 |
大正5 |
大正6 |
大正7 |
大正8 |
大正9 |
大正10 |
大正11 |
大正12 |
大正13 |
大正14 |
大正15 |
不明 |
61 |
65 |
不明 |
81 |
102 |
78 |
92 |
116 |
147 |
162 |
153 |
142 |
113 |
97 |
101 |
118 |
115 |
(昭和)
昭和2 |
昭和3 |
昭和4 |
昭和5 |
昭和6 |
昭和7 |
昭和8 |
昭和9 |
昭和10 |
昭和11 |
昭和12 |
昭和13 |
103 |
125 |
131 |
133 |
137 |
122 |
107 |
111 |
107 |
95 |
60 |
46 |
昭和14年度をもって事業は終了したが、その後山林が古河鉱業から三陸木材工業に売却。昭和26年から再び開発が始まり、寄宿舎が設けられ山林の伐採が行われた。昭和32年に自家発電施設設置。
なお昭和31年に、学齢児童のために東小学校平滝分校が開校している。校舎は既に撤去されていたため、三陸木材工業が再建した。事業の撤退に伴い昭和39年閉校。
昭和31 |
昭和32 |
昭和33 |
昭和34 |
昭和35 |
昭和36 |
昭和37 |
昭和38 |
昭和39 |
8 |
12 |
18 |
18 |
12 |
12 |
15 |
17 |
18 |
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