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◆城師(じょうし)
上城師・城師(下城師)・影城師(蔭城師)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「新居濱」(昭和23.4)を使用したものである

所在:四国中央市富郷町津根山(とみさとちょうつねやま)
地形図:弟地/新居浜
形態:川沿いの斜面に家屋が集まる
離村の背景:ダム建設
標高:約420m(水面は約450m)
訪問:2009年10月

 

 富郷ダムの人造湖(法皇(ほうおう)湖)に水没した集落。上城師・城師・影城師に細分される。
 資料『伊予三島市 嶺南』によると、戸数(昭和7年3月→同56年10月)は城師1026、上城師64、影城師40。集落には学校があった(城師小学校)。
 また『ふるさと富郷村』には、「上城師下城師蔭城師よりなる戸数十五、六戸、下城師に村社八幡神社あり」とある。
 現在はトンネルに名前が残るが、かつての面影はない。
 
古くからの姓は森次・和田(津根山全体では高橋・曽我部・近藤も)。以下は『伊予三島市 嶺南』および市史より学校の沿革を要約したもの。

 明治12  宇摩郡津根山村葛川に小学校を新築、盛津校を開設、学区折宇(おりう)、戸女(とにょう)、城師、葛川宮城寺野松野
 明治18  本校を城師橋のもとに新築移転
 明治19  富郷尋常小学校第二分校となる(※1)
 明治20  津根山簡易小学校となる
 明治21

 松野に移転。校舎は中内氏宅を代用

 明治24  再び城師に移転し、校舎は森次氏宅を代用
 明治25  津根山尋常小学校となる
 明治26  校舎新築。瀬井野、中尾(なかお)を学区に加える
 大正6  学区から藤原・中尾を除外
 大正8  藤原・中尾に家庭教育場を設置
 昭和2  藤原・中尾の各家庭教育場が分校となる
 昭和3  津根山尋常高等小学校となる
 昭和6  城師尋常高等小学校となる
 昭和11  藤原分校・中尾分校廃止。児童は富郷小学校に編入
 昭和16  城師国民学校となる
 昭和22  城師小学校となる
 昭和61  閉校(※)

※1 『伊予三島市 嶺南』では瀬川簡易小学校第二分校とある
※2 HEYANEKO氏調べ

 また児童数の推移は以下のとおり。

年度 明治27 明治28 大正15 昭和2 昭和5 昭和6 昭和9 昭和11 昭和14 昭和20 昭和29

昭和35

昭和40 昭和46 昭和52 昭和54
児童数 35 42 113 170 83 175 189 146 124 114 77 96 64 32 20 19

 


(写真1 富郷ダム)


写真2 集落付近。写真左は城師トンネル

写真3 展示施設にて。城師は写真中央、向かって左の岸

 

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