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◆牛首(うしくび)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「白川村」(昭和28.7)を使用したものである

所在:白川村牛首
地形図:鳩谷/白川村
形態:川沿いに家屋が集まる
標高:約770m(国道は約490m)
訪問:2009年5月

 

 (しょう)川の支流、牛首谷の中流部にある。古い地図では左岸に7軒くらいの建物群と、少し上流の右岸に2軒の建物が見られる。上流には牛首峠があり、これを越えると富山県の利賀村【現・南砺市】に至る。
 
集落へは2つのルートがあり、戸ヶ野(とがの)集落南端より入る牛首谷沿いの道(おそらく旧道)と、北端より延びる牛首林道がある。訪問時は林道を知らず谷沿いの道から入ったが、路面の状況が悪く整備も途中だったため後は歩いた。途中には石仏があった(写真1)。
 
しばらく歩くとキャンプをしている方がおり、話を伺ったところ別の林道があることと碑があることを教えていただいた。集落跡のある対岸へは、渡る場所はないそう。いったん戸ヶ野まで戻り再び林道を走ると、小高い場所に2つの石碑が建っていた(写真2)。以下はその全文。


重畳たる山峽を縫って流れる、清冽な牛首川の畔りに 千載の歴史を刻んだ牛首、その始祖は倶利伽羅峠の戦いの後、移り住んだ平家の公達であったと云う。時は移り天正の代よりは越中との往来をとりしきった誇り高き御番所衆の集落も進みゆく御代の印として昭和四十年十二月二十日最後の家の移動とともに牛首区は終焉を告げ、今では風にそよぐ梢以外に昔を偲ぶよすがも無く加へて広域基幹林道牛首線の新設は疎遠に拍車をかけ、この儘風化することを恐れた十三戸の継承者が語りあい、其の傍系者及び諸々の縁りある方々の協力を得て、この地に記念碑を建立する。希くば何時の代までも墳墓の地、遙拝の碑として護持されんことを祈る。

 昭和六十三年八月建立

 (裏側)(「/」は改行)

 栄光の/歴史を秘めて/牛首は/盡きぬ流れと/ともに息きつく


 もう一方の石碑には住民の氏名・屋号とともに、こちらにも句が刻まれている。これによると西村5・竹林3・岩本3・脇坂1・石田1の計13軒。
 
なお大字牛首は近世の大野郡牛首村。明治8年白川村の大字となる。昭和39年集団移転(角川)。
 またHEYANEKO氏の調査によると、かつては白川小学校牛首分校(昭和38年閉校)が存在していたという。

 


写真1 道中の石仏

写真2 碑(携帯電話による撮影)

 

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