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◆釜中(かまなか)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「伯母子嶽」(昭和28.10)を使用したものである

所在:十津川村今西(いまにし)
地形図:伯母子岳/伯母子岳
アクセント:カマナカ
形態:谷沿いの斜面に家屋が集まる
標高:500m前後(ただし馬場平は約600m)
訪問:2009年9月

 

 今西川の支流、釜中谷の上流にある。古い地図では左岸に4軒、右岸に1軒の建物が見られる。最近の地図には記載がないが、廃屋が2軒。うち1軒には電気も引かれている。
 
訪れていたかつての住民(昭和6年生まれ)の話では、覚えている範囲で6軒。林業が主体だが、建前上は農業を本職としていた。田畑は大なり小なり各戸にあり、畑ではサトイモ・甘藷・雑穀などを作っていた。米は買い出しにいくこともあったが、畑作物は十分な収穫があり飯場の林業従事者に分けたこともあった(換金)。電気が通ったのは昭和256年。
 
以下は、伺った話より各戸についてまとめたもの(西側より)。

屋号 転出先 備考
馬場平(ばばだいら) 鎌塚(かまつか) 和歌山・新宮市  
大屋(おおや) 久保(くぼ) 大阪府  
下家(しもね)※) 上杉(うえすぎ) 大阪府  
今中(いまなか) 玉置(たまき) 和歌山・新宮市  
吉本(よしもと) 和歌山・白浜町 今中の隠居(7代前より)
左垣内(ひだりがいと) 向峯(むかいみね) 和歌山・岩出市  

※ 登記上は「下根」となっているが、「下家」のほうが本来の表記ではないかとのこと。古い人は「下家」と表記している。


 馬場平は釜中谷を挟んで対岸の高所に孤立している。人家に続く道としては登りがきつい。現地に着くと、意外なほど広い農地跡が広がっている。下家(下根)は林道工事により宅地は埋没、石垣のみが確認できる。左垣内は未到達。
 なお資料『十津川の地理』によると、昭和34年3戸18人。

 


写真1 馬場平・石段と田の跡

写真2 大屋・屋敷跡

写真3 今中・家屋

写真4 吉本・家屋

 

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