◆深城(ふかしろ)
※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「丹波」(昭和27.8?)を使用したものである
所在:大月市七保町瀬戸(せと) 地形図:七保/丹波
異表記:フカシロ(旧版地形図)
形態:川沿いの斜面に家屋が集まる
離村の背景:ダム建設
標高:約640m(水面は約620m)
訪問:2008年8月
市の北部、土室(つちむろ)川と葛野(かずの)川の合流部付近、現在の深城ダムのある辺り。大きく蛇行する葛野川の内側に家々があった。古い地図では「フカシロ」の表記で、5軒ほどの建物が見られる。標高から考え、宅地の完全な水没はしていないよう。
現在は小金沢(こがねざわ)公園として整備されるなどして、かつての面影はない。なお「小金沢」という地名は、深城と下流の竹の向(たけのむかい)の総称。公園の一角には「故郷の碑」(平成17年建立・知事による文・写真4)があり、以下はその全文。
葛野川は、大月市の北部地域の母なる川として、昔から人々のくらしを支え親しまれてきました。しかし、一方ではたびたび大きな水害をひきおこし人々を苦しめ、また、田畑はしばしば深刻な水不足に見舞われてきました。
このため山梨県は、ダムの機能により下流の水害を軽減し、人々のくらしの水をたくわえ、また、葛野川沿岸にうるおいをもたらすため、この地に深城ダムを造ることにしました。
しかしながら、小金沢地区の一部はダム建設により水没し湖底となることとなり、31戸の方々が永年住み慣れた故郷を離れました。
ここに、ダム建設に対して御理解と御協力をいただいた多くの皆様に感謝の意を表し、移転された方々の氏名を銘記するとともに、深く故郷の思い出を刻みます。
以下は資料より抜萃し、要約したもの。
明治に居住した者2戸、半数以上が昭和11年以降という新しい集落
初代の出身地は大月市内・山梨県下・他府県
林業・炭焼きの従事者が竹の向の開拓に加わり、さらに上流に住み着いたことにより集落が形成された
全28世帯。職業は林業13・会社員3・民宿2・製材業2・土木作業1・農業1・その他6
食料品のほとんどは移動販売車に頼り、他は大月市街に出かけていた
宅地はすべて地主のもので、借家が3世帯あった
深城ダム建設に伴い、27世帯が水没。115人が市内賑岡町畑倉(にぎおかまちはたくら)・富浜町宮谷(とみはままちみやたに)の代替地に移転
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