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◆親(おや)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「横山」(昭和26.11)を使用したものである

所在:揖斐川町鶴見(つるみ)字親谷?
地形図:美濃広瀬/横山
形態:川沿いに家屋が集まる
離村の背景:ダム建設
標高:約180m(水面は約190m)
訪問:2009年5月

 

 横山(よこやま)ダムの人造湖(奥いび(おく―)湖)に水没した集落。古い地図には揖斐川の右岸に9軒の建物と寺院・水田が見られる。製炭が盛んだった。
 
かつて集落があった場所の上には、八幡神社から移転された社標と「追憶の詞」の碑(写真1)、南よりには墓地(写真2)と「水没記念の碑 離郷の辞」(昭和39.3 親水没部落民一同建立)があり、最近の地図でも記号が見られる。
 
社標のある場所の石碑によると、親八幡神社の創建は奈良朝末期頃と伝えられ、大正6年に鬼姫生に鎮座されていた深山神社を合祀。水没後は大垣八幡神社に合祀(昭和371014日)、社標を残しその他構作物一切を同神社に移転。


「水没記念の碑 離郷の辞」(全文)

 此の眼下の湖底に眠る土地は私達祖先が幾百年に亘り営々として築き挙げた部落のあつた処です部落の戸数は二十数戸とは言え、鬱蒼と生茂つた鎮守の森や天和三年に建立された寺院(真宗寺)があり朝夕の平凡な梵鐘の音と共に山間部にふさわしい部落の生活が営まれていたのです
然るに昭和三十五年横山ダム建設により湛水地区となったがために私達は郷土に別れをつげ他へ移住しなければならなくなりました
朝な夕なに眺め暮したあの岡あの川一木一石にも親代々の血が脈々と流れているかと思えば永遠に姿を没して行く郷土と別れる愛惜の情は禁じ得ないのであります 去り難き古里よ父祖の墳墓よ安らかに永久に眠られんことをお祈りします

 去り難き ふるさと親を 世のためと
  
心耐えつゝ 我等去り行く

 村史によると、姓と移転先・人口の変遷は以下のとおり。なお神社は大垣八幡神社へ合祀。寺院は岐阜市近の島へ移転。(〓は「木へんに厂+萬」。「栃」で代用する資料も)

移転先
揖斐川町 栩川・富永・増田・三宅・小椋・富永
池田町 栩川・〓(※)川・栩川・富永・栩川
岐阜市 〓川・富永・國枝・〓川
大垣市 栩川・戸沢・〓川・〓川
神戸町 栩川・〓川
愛知県 富永・三宅・櫟原
東京都 戸沢

戸数・人口
明和11764 16戸(男33・女31
文政131829 14戸(男41・女36
天保51834 14戸(男43・女42
安政21855 13戸(男35・女33
明治51872 15戸(男39・女46


 
また「鬼姫生伝説」の鬼姫を産んだ父母の居住地であったことから地名が付けられたとの伝承がある。
 HEYANEKO氏の調査によると、かつては杉原小学校親冬期分校(昭和37年閉校)が存在していたという(参考:HEYANEKOのホームページ)。

 


写真1 社標と記念碑

写真2 墓地

 

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