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◆徳丸(とくまる)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「新居濱」(昭和23.4)を使用したものである

所在:四国中央市富郷町豊坂(とみさとちょうとよさか)
地形図:弟地/新居浜
形態:山中に家屋が集まる
標高:約600m
訪問:(2009年10月)・2018年8月

 

 大字豊坂の南西部、銅山(どうざん)川左岸側の山中にある。
 資料『伊予三島市 嶺南』によると、戸数は昭和7年3月6戸、同56年10月0戸(全戸転住)。「三椏を多く産す又木炭の製造盛んなりコ丸は始め新田氏の開きし處にて新田氏の一族宗次と稱するもの慶應年間コ丸に逃れ田尾の畝を開き此處に居住し新田義貞公を氏神とし又一堂宇を建て授乳藥師如来を祀りたりといふ、新田神社は大正三年郷社豊受神社に合祀されたるも乳藥師は今尚鎮座ましまして遠近より婦女子の参拝するもの多し、コ丸部落は古来宗次氏を名乗りしも明治に及びて宗次を廃して部落悉く西村と改稱し今日に到る」とある。
 近辺の訪問計画の段階では地図上で見落としてしまったが、寺野の展示施設で閲覧した資料により存在を知ることができた。
 施設の方に大まかな場所を教えていただき、それらしい場所に向かって山道をたどると尾根上に墓地を見つけることができた(写真1)。長い山道ではあるが幅も広くしっかりしており、比較的主要な道であることが窺えたが、現在地に確信が持てず途中で引き返してしまった。しかしあとで伺った話では、集落のすぐ手前まで来ていたという。

 また村史には、「徳丸の徳石」という伝承が掲載されている。これは落武者が大きな石の下に隠した黄金が、長い歳月を経た元日に、金の鶏となって現れ幸せをもたらしたというもの。この石が「徳石」と称されていた。

 2018年改めて再訪。前回引き返した墓地からものの数分で集落に到達。現地では3箇所ほどの屋敷跡が見られた。なお墓地では西村姓を確認。

 


写真1 墓地(2009年撮影)

写真2 墓地。写真1と同じアングル?(以下2018年撮影)

写真3 墓地

写真4 集落入口付近の道

写真5 屋敷跡

写真6 屋敷跡

写真7 写真6にて。甕

写真8 何かの跡

写真9 屋敷跡

写真10 集落上部の非植林地

 

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