2010年 ≪宿泊≫ 【 3月】★山梨県下部町 【現・身延町】
・1日目 ・2日目 途中で立ち寄った「道の駅なるさわ」は、所在地が鳴沢村字ジラゴンノ。何やら愛嬌のある地名です。 ・3日目
【5月】 ★長野県信州新町 【現・長野市】
・1日目・2日目 ・3日目 ・4日目 美麻村の高地地区は2006年にも訪れたのですが、経験の未熟さゆえに集落の多くを訪れることができませんでした。当時品生を和田と勘違いし、長期にわたりレポートに掲載していたことも、今にすれば慙愧に耐えません。今回はやや難儀しながらもすべての集落を訪れることができ、感慨もひとしおです。 ・5日目 曲尾に訪れると、かつての住民の関係者が山菜採りに訪れていました。事情を説明するなり「いい場所に来てくれたよー」と、突然の訪問者を歓迎してくれました。その後集落の隅々まで案内していただきましたが、その最中も「本当にいい所でしょう」「何時間いても飽きないよ」「昔はね、……」と言葉が続きます。父祖の生まれ育った地にこれだけ愛着と誇りを持てるこの方もすばらしいですが、愛される集落を築き上げた先人たちの努力もすばらしいと思います。この思いが子々孫々まで受け継がれるかどうかは分かりませんが、いずれ人々の記憶から消えてゆくのは寂しいものです。 ・6日目 翌日は雨の予報が出ていたため、洗濯なども兼ねてビジネスホテルに宿泊。夜はテレビを見ながら酒を飲んでいたのですが、NHKのあるドキュメンタリー番組に見入ってしまいました。高齢者の多い過疎地域で、長年慕われ続けた医師が高齢のため退職、その様子を追うといった内容です。趣味柄こういった話題にはたいへん心を揺さぶられます。旅先で独り飲む酒には、極上の肴になりました。 ・7日目 ・8日目 ・9日目
【8月】 ★京都府宮津市
・1日目 ・2日目 今回はひたすら藪とイノシシの印象が残っています。草藪・笹藪・竹藪には、行く先々で何度悩まされたか分かりません。特に雨や露で濡れた藪は脅威ですらあります。 ・3日目 段の探索後、元住民夫婦にお会いし、成り行きでお地蔵さんに線香をあげることに。私のようなよそ者にもご利益があるかは分かりませんが、勧められるがままに旅の安全を祈らせてもらいました。無事に帰って来られたのも、お地蔵さんのご利益かもしれません。 ・4日目 ・5日目 今回もやや長期の旅だったので、半ばから後半にかけてどこかで一泊しようと思っていました。予約した時点での天気予報はまずまず良好だったのですが、当日が近付くにつれ天気は悪化、偶然にも台風の通過する夜と重なりました。これも段のお地蔵さん(3日目参照)のご利益でしょうか。よかった、よかった。 ・6日目 この日は午前中を中心に雨。台風一過の晴天とはいきませんでした。2009年の10月以来、悪天候時の図書館は常套手段。場所はあらかじめチェックしています。 ・7日目 先に訪問した熊谷・尾崎、そしてこの日の出合・黒川、訪問せずに終わってしまった茶園・平家、これら住山南西にある一連の集落は、この旅の中でも難関になるだろうと予想していました。道をたどることも不安なうえ、 この日も出端から雨上がりの笹藪・草藪で体中ずぶ濡れ、さらには数十匹いるだろうという夥しい数のアブに囲まれ、なんとか黒川らしき場所にたどり着いた頃にはすっかり気力も萎えてしまいした。道が不明瞭になったことも追い撃ちとなり、これ以上の探索は断念することに。しかし後日あるサイトで、黒川と茶園の石碑の写真が掲載されているのを目撃。驚くやら羨ましいやら、私にとってはまさに垂涎の的です。よほど脳裏に焼きついたのか、尾崎のレポートを作成した夜にはこれらの集落を探して山中をさまよっている夢まで見てしまいました。「逆尾」という架空の集落(尾崎の反対側にある集落のことだろう、と自己分析)まで出てくる始末です。せめて府内に住んでいたのなら、雪の融けた春先にでも訪れたいものです。 さてこの日も終盤から雨。再び宿泊施設にて一晩過ごすことに。「雨の時は宿へ」というのがすっかり定着してしまいました。 ・8日目
【10月-11月】 ★兵庫県相生市
・1日目 今回の目的は兵庫県。今年はどうもクマの当たり年らしく、特に兵庫や京都など関西北部ではクマが頻繁に出没しているようでした。はたして無事に帰れるのでしょうか。 ・2日目 この日は午後から雨。集落探訪初日にして宿泊施設へ。まだ序盤なので洗濯や機器の充電といった恩恵も少ないため、何やら素直に喜べない宿泊となりました。ただ、眠っている夢を見るほど気持ち良く熟睡できましたが…。 ・3日目(以下11月) 新山寺に向かう途中、作業道(林道?)をバイクで走っていると大きな動物が目の前を横切っていきました。何をどう見間違えてもクマにしか見えません。その後バイクを降り山林を歩き回ったのですが、物音がするたびに恟々としていました。出発前のクマ出没のニュースは伊達ではありません。 ・4日目 水根からの帰り道、左足の裏付近に違和感を覚えました。まだ集落探訪も中盤だというのに、肝心の足を傷めてしまったようです。翌日以降も痛みは引かず、平地を歩いても鈍い痛みが走ります。石や枝を踏むと痛さで膝が折れるほどで、麻酔を打ちたいくらいでした。その後も覚束ない足取りであちこち回ったのですが、根性というよりも「この先を自分の目で確かめたい」という意気がまさった、といったところでしょう(私は根性がありません)。帰宅後も半月以上痛みが残ったのですが、趣味とはいえよくやるものです。 ・5日目 ある所で集落の話を伺ったたところ、お宅に誘っていただいたうえに出身者が著した資料まで見せていただきました。その後近辺を見て回っているとちょうどお昼になり、今度は昼食に誘っていただくことに。それとなくお断りしましたが、結局はお言葉に甘えてそば(ご主人が打ったもの)や手作りのおやきをご馳走になりました。気力・体力ともに充実です。鰹のだしが利いた素朴でおいしいつゆのそばは、思い出すと食べたくなります。 ・6日目 この日の行程は山道ばかり。傷めた足を庇いぎこちなく歩くので、斜面から滑り落ちたり川にはまったり。泣きっ面に蜂です。 ・7日目 ・8日目
【12月-2011年1月】 ★沖縄県石垣市
・1日目 (石垣) この旅の計画当初はバイクで巡ることを考えていましたが、車輛が沖縄本島までしか運べないため、集落旅行初の飛行機搭乗。いつもは地図ばかり眺めていますが、実際に上空から眺める日本も感慨深いものです。 前日の夜にカーナビをひたすらいじり、とりあえずの使い方を習得。実際に使いながら操作に慣れるにつれ、「世の中にこんな便利なものがあったのか」とただただ感心。カーナビ万歳。 ・3日目 (渡船) (カヤック) 時々 宇多良礦山を川から眺めようと、浦内(うらうち)川でカヤックを初体験。私は水が苦手なので、川岸近くから離れられずよろよろ漕ぎ進むという懦弱ぶりです。岩や木に当たりそうになっても、やはり陸が恋しいものです。 ・4日目 時々 西表島西部の白浜(しらはま)からは船浮(ふなうき)・網取への渡船が出ています。網取への航路は既に廃止が決定しており、便がいつ無くなってもおかしくありません。今回はこの網取行きを利用しようと思ったのですが、波が高く欠航に。この旅最大の目的地を諦めかけましたが、宿の女将さんのつてで天候回復次第チャーター船で行けることになりました。結果として予定していなかった成屋や南風坂の訪問も叶い、この機転には本当に感謝です。 ・5日目 のち この日も冬型の天気。時化のため船も出ず行く場所がなくなってしまったので、なんとなく由布島へ行くことに。水牛車の渡しで有名な観光スポットです。出発前のHEYANEKOさんとのやりとりで「由布島には学校跡があって…」という話があり、それが頭に残っていたこともありました。 ・6日目 (チャーター船) ようやく待望の晴天。波も穏やかになり、意気揚々です。 ・7日目 (チャーター船) この日は崎山湾から鹿川湾までを縦断し、南岸の鹿川へ行く予定でした。湾より人が通った跡らしき筋をたどるものの、越えるべき鞍部は少しずつ離れていきます。途中で横道でもあればまだ望みはあったのですが、100mほど登って道を失いあえなく断念。軽装ならばもう少し積極的に動けるのですが、荷物がネックとなり探索を続ける気力はほぼ完全になくなりました。西表の山は深く地形も複雑ということで、深追いは命取りです。 ※ 船浮にはauの基地局があります。私の携帯電話はauだったので運良く通じたようですが、他社のものは通じないと思います ・8日目 (渡船) ・9日目 一時 この日の宿泊に「名護市内のアパート」とありますが、これは職場の先輩の奥さんの実家が経営しているもの。出発前に先輩に沖縄旅行の話をしたところ、空き部屋があるから是非とも泊まっていけと熱烈に(?)勧められました。普段からよく面倒を見てもらっていますが、プライベートの旅先でも恩恵に与ることができるとは…。奥さんと娘さんにも、部屋の手配に始まって寒い中のお出迎えとお見送り、朝ご飯の差し入れといろいろ気を遣ってくださり、先輩と奥さんには感謝です。車中泊では常におかしな格好で寝ていましたが、部屋で足を伸ばして眠れるのは気持ちが良いものです。 ・10日目 この日は大晦日ということで、年越しの安息を求めて宿泊施設へ。「民宿」の名に惹かれてある宿に予約を入れましたが、訪れてみると洋風の一軒家を改装した、ペンションのような雰囲気の宿でした。清潔感のある部屋、瀟洒な内装、宿泊客との交流に積極的な経営者夫婦と、汗臭く泥臭い一人旅にはもったいないくらいの待遇です。私は酒の酔いが回るまでそわそわと落ち着きませんでしたが、女性やカップルの観光客には居心地の良いお勧めの宿だと思います。 ・11日目(以下2011年) ・12日目 ・13日目 思い返せば、今回はいつもと違って寄り道がだいぶ多かった気がします。地元の食も大いに味わい、土産もずいぶん買いました。レンタカーの移動が快適で余裕があったこともあるでしょうが、南の島独特の雰囲気というか文化というか、歴史的背景というか、うまく言えない何かに惹き付けられたような気がします。
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≪日帰り≫ 【2月】 ・張安(和歌山・中辺路町【現・田辺市】)―宮代―大瀬(以下日置川町【現・白浜町】)―大字竹垣内(土泥―下地―太郎行) 今回は斯界の大先輩、HEYANEKOさんと一緒の集落探訪です。兵生(宮代)・大瀬の分校を訪れたいということで、氏の提案により初の対面が叶いました。「HEYANEKOのホームページ」から伝わってくるオープンな雰囲気さながら、実際のHEYANEKOさんも気さくで朗らかな方でした。集落探訪に際し様々な資料を見せていただきましたが、この几帳面さがサイトの緻密な内容につながっているのでしょう。
・大熊(和歌山・大塔村【現・田辺市】)―平―里谷(以下日置川町【現・白浜町】)―大字竹垣内(栃尾―桑原―古屋平)
【3月】 ・虎ヶ峰(和歌山・龍神村【現・田辺市】)
【4月】 ・深瀬(以下和歌山・本宮町【現・田辺市】)―平治川―下栗垣内―平ヶ谷―奴田
【6月】 ・道湯川(和歌山・中辺路町【現・田辺市】)
【7月】
【9月】 ・明円(以下奈良・十津川村)―沖ノ口―松本―橋掛―(湯之谷) 今回の訪問で行動の拠点となった小森(こもり)の集落は、かつて十津川村役場があった場所。このような辺鄙な山中で役場の跡を見たのは、2008年の槌之川以来です。現在の生活様式では全く考えられないことですが、これも山深い秘境・十津川村ならではの歴史の遺産です。 【10月】 ・和田(三重・紀和町【現・熊野市】)―大渡(以下奈良・十津川村)―錨 2月に引き続き、今回もHEYANEKOさんとの集落訪問。上記の3箇所は氏の得意分野である「学校跡を有する廃村」です(この他和歌山・北山村の小松(こまつ)も訪問)。 ・大谷(下番・中番)(以下奈良・十津川村)―出店―古矢倉―大谷(奥大谷) 【11月】 ・白久野(和歌山・中辺路町【現・田辺市】) 仕事の現場がたまたま近くだったため、仕事帰りのついでに訪問です。
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