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◆小浜の上(こはまのうえ/クバマヌウィ)



※ 明色部
※ この地図は、琉球政府法務局臨時土地調査部発行の1/50,000地形図「中尾次」(昭和37.6)を加工し使用したものである

在:東村高江(たかえ/タケー)
地形図:安波(内挿図)/国頭平良
形態:山中に家屋が集まる
標高:約150m
訪問:2011年1月

 

 大字高江の東部にある。
 村史によると、明治期に開墾が始まり薪炭の製造など林産物を扱って暮らしていたという。燃料が薪炭から石油に変わっていった昭和30年代、全戸が離村。
 現在集落跡は整地されているようで、平坦地は大まかに上段と下段がある。村史の地図より屋敷跡は上段と思われ、赤土の平地にマツが疎らに生えている(写真1)。下段は草本や少しの灌木が生えた荒地。車道からの入口付近には「高江校発祥之地」の碑(写真3)があり、現在の高江小学校の校舎がかつてここにあったことが窺える(明治41年創設、同45年新川(あらかわ)へ移転)。なお地図で「共同井戸」が記されている場所には工房兼カフェ(休業中)が建っており、敷地内には井戸のような穴(蓋がかぶせられ、金網で囲まれている。写真4)を確認したが、村史の写真の雰囲気とはだいぶ違うので確証は持てない。
 各戸の様子は以下のとおり。番号は本文のまま(上流より)。

番号 転入 転出
1 山田   昭和22年、沖縄市桃原(とうばる)へ。同30年頃高江の牛道(うしみち)へ帰る
2 高江洲   昭和42、3年頃死亡
3 高江洲 国頭村安田(あだ)ユッパー開墾より 昭和39年頃死亡
4 喜屋武   昭和30年、高江の車(くるま)
5 稲福 沖縄市泡瀬(あわせ)より 昭和25〜28年に宜野湾市普天間(ふてんま)
6 山田   昭和22年、沖縄市桃原へ
7 高江洲 沖縄市泡瀬(あわせ)より 昭和34年、宜野湾市普天間(ふてんま)
8 仲里   昭和9年高江
当真 昭和9年、国頭村安波(あは)の美作(つらさく・ちゅらさく)より 昭和21年、高江の上新川(かみあらかわ)
喜屋武 昭和22年、国頭村楚洲(そす)より 昭和33年、沖縄市宮里(みやざと)
9 古堅   昭和31年、牛道へ
10 高江洲 沖縄市泡瀬(あわせ)より 昭和30年、車へ
11 高江洲   昭和36年、牛道へ
12 喜屋武 国頭村のユッパー開墾より 昭和27年村内川田(かわた)
13 喜屋武 沖縄市泡瀬(あわせ)より 昭和30年頃、車へ
14 喜屋武 昭和30年、沖縄市桃原へ

 


写真1 集落跡付近

写真2 上段より下段を望む

写真3 碑

写真4 井戸?

 

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