◆大泊(おおどまり/ウフドゥマイ)
※ この地図は、参謀本部陸地測量部発行の1/50,000地形図「中尾次」(大正12.5)を使用したものである
所在:東村高江(たかえ/タケー)
地形図:国頭平良/国頭平良
形態:海岸から谷沿いの斜面にかけて家屋が散在する
標高:数m〜100m弱
訪問:2011年1月
大字高江の南部にある。宮城(みやぎ)との字境の県道に大泊橋が架かっているが、集落はこの北東の谷沿い。大泊川の流域ではない。
車(くるま)集落の南部に県道を南に分岐する道路があるが、訪問はこちらより。集落への道には所々目印のテープが巻かれていたが、マングースの棲息状況?の調査のために最近人が入ったよう(新しい捕獲器が至る所にある)。見つかった屋敷跡は、山中と海辺併せて2箇所ほど。道沿いの開けた場所にある祠のようなもの(写真7)は集落の拝所か。派生する小道をいくらかたどると、農地跡のような平地も確認。復路で別のルートをたどると、比較的管理された家屋が見られた(写真8)。
村史によると、集落は昭和61年に無人化。宮城の魚(いゆう)(魚泊(いゆうどまり))や大工泊といった海岸小集落とともに、山原船(※)の投錨地であったという。また大正13年まで大泊は宮城に所属していた。
※ 山原(やんばる)船は、沖縄で人や物資の海上輸送に用いられた船
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