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◆川上(かわかみ)開墾



※ この地図は、参謀本部陸地測量部発行の1/50,000地形図「中尾次」(大正12.5)を使用したものである

所在:名護市田井等(たいら/テーヤ)字大川(おおかわ)/又喜名(またきな)/タガラ/シブチャ又(―また)
地形図:中尾次/国頭平良
形態:川沿いに家屋が散在する
標高:
訪問:2010年12月

 

 大字田井等の南部、羽地(はねじ)大川沿いにある。羽地ダムの人造湖により、多くは水没しているよう。
 以下は市史より、集落に関する部分を抜萃・要約したもの。

羽地大川上流域には、明治期から昭和20年まで多くの人々が開墾に入り、山の生活を営んだ
廃藩置県後、士族が移り住んで開墾を始めたのが集落の起源
タガラが中心地で、大正9年には羽地小学校の大川分教場が設置されている
明治の前期から沖縄戦までの間に、この流域で暮らした家族はのべ250世帯以上と推定される
明治期は藍が作られ、大正以降はキビ作りも広がった

 現地には水没を免れた場所にタンカン畑などの農地や農地跡が点在。作業の拠点となる家屋もあり、農繁期には滞在するものと思われる。ダム湖に架かるまたきな大橋の袂には「羽地大川分教場記念碑」(昭和52年建立)(写真5)があり、これによると碑から500m上流に、羽地尋常高等小学校の羽地大川分教場があったという。以下は碑より沿革の抜萃。


 沿革

大正九年に羽地大川分教場として開設 昭和十九年第二次世界大戦終結の直前戦局の悪化により閉校となる。当時の戸数八十三戸、人口四百人余 一年生から四年生までの複式学級で四年修了生二百五十人。

 


写真1 ダム湖

写真2 平地

写真3 平地(農地跡?)

写真4 池

写真5 碑

 

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