◆竹久僧(たけきゅうそう)
※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「網野」(昭和24.5)を使用したものである
所在:京丹後市丹後町竹久僧(たんごちょう―)
地形図:丹後平/網野
形態:山中谷沿いに家屋が集まる
離村の背景:豪雪
標高:約190m
訪問:2010年8月
町の東部、小脇背後の山中にある。
最近の地図では集落までの道は破線になっているが、実際には未鋪装の車道が通っている。建物は残っていないようだが、集落の一角には小さな畑が残り現在も手入れがされている。また屋敷跡のひとつには「離村記念碑」(昭和49年、元住人による建立)が建つ(写真2)。これによると昭和38年離村、姓は小笹5・藤本3・増田1の計9戸。
車道を終点まで行ってみたが、農地跡と思われる場所や何かの平地が見られたのみ。
町誌によると、昭和38年の豪雪が離村のきっかけであるとの記述がある。また昭和31年11月14日朝7時半火災が発生し、8世帯のうち5世帯が焼失。罹災者は20名とある。また字桂谷に三柱神社がある。
大字竹久僧は近世の竹野郡竹久僧村。明治22年上宇川村の大字。明治21年10戸、昭和30年10戸45人。昭和38年の豪雪を契機に、同39年全戸離村。同51年一部が大字碇となる。薪炭業で生計を立てる半農半林の集落であった(「角川」より)。
また論文「丹後地方における廃村の多発現象と立地環境との関係」によると、明治初期10戸、昭和38年10戸、昭和38年に無人化。集団離村。
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