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◆碇(いかり)

所在:京丹後市丹後町碇
地形図:丹後平/網野
アクセント:カリ
形態:?
標高:約380m(資料より)
訪問:2010年8月

 

 町の東部、伊根町との境界付近にある。
 現在は碇高原総合牧場として、肉牛の放牧を行っているとともに観光地としても賑わう。
 以下は高原にある碑(写真3)の「碇抄」(昭和51年、当時の丹後町長による)の全文。

 碇は大野の郷と稱し狩獵を生業とする千軒の集落を構えた太古に端を發し中古うち続く天変地異火災と農耕の変遷などによって住民は三山乗田原竹久僧に移住したものと傳えられる また猪狩ともいゝ宇川の庄有数の純和牛の放牧地として永い傳統をもつ土地である太平洋戰爭後國を挙げて食糧の危機に頻(※)するや昭和二十七年開拓團十八名が勇躍ここに入殖(※)しきびしい気象悪路等とたゝかい開拓に從事したが遂に抗しきれず数年にして離山した足跡は碇の歴史に銘記すべきであろう その後も農耕和牛飼育に利用されたが時流改まり離村相つぎ碇高原も將に荒涼たる原野たらんとする     時あたかも昭和四十四年地域の要請と京都府知事蜷川虎三先生の英断により丹後縱貫林道五十余粁の啓開に着手し隣接するこの地を京都府北部開發の據点と定め畜産総合牧場を拓き千有余年の歴史の継承發展を策す こゝに往古先人を偲び新しい躍新(※)を祈りつゝ誌す

※ 表記は原文のまま


 「角川」によると、大字碇は昭和51年に府碇高原総合牧場の建設により成立。それまでは三山小脇竹久僧の各一部。
 論文「丹後地方における廃村の多発現象と立地環境との関係」によると、明治初期0戸、昭和25年6戸、昭和36年に無人化。昭和23年10戸入植開始。

 


写真1 高原にて

写真2 牛

写真3 石碑

 

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