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瀬長島(せながじま)



※ この地図は、参謀本部陸地測量部発行の1/50,000地形図「那覇」(大正12.12)を使用したものである

所在:豊見城市瀬長(訪問時は豊見城村)
地形図:那覇/那覇
形態:海岸付近に家屋が集まる?
離村の背景:米軍による接収
標高:数m〜約40m?
訪問:2010年12月

 

 市の北西部、東シナ海に浮かぶ島。米軍が造成した海中道路により陸続きになっており、車輛による上陸が可能。
 「角川」によると、居住が始まったのは
19世紀に入ってから。戦前には36、7戸の半農半漁の小集落が形成されたが、昭和21年に那覇空軍海軍補助施設として米軍により接収。住民は対岸に移転。その際島内の拝所がまとめられ、対岸に遥拝所が作られた。昭和52年2月返還。
 現在は野球場や公園のほか、遊戯場・物産店・喫茶店などの施設がある。公園内には石碑群(写真3)があるが、平敷屋朝敏(へしきや・ちょうびん)(※)関連のものなどで集落の様子を綴ったものではない。すぐ北には那覇空港があるため、橋の上を頻繁に飛行機が往来している。

 組踊り「手水の鏡」の作者。「仲風節」の中に瀬長島を理想郷として歌っている

 


写真1 島遠景

写真2 「瀬長グスク」の標柱

写真3 公園にて

写真4 石碑群

写真5 ?

 

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