戻る 前へ 次へ 市町村選択ページへ 都道府県選択ページへ トップページへ

 

◆海老原(えびわら・えびはら)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「村岡」(昭和28.8)を使用したものである

所在:豊岡市日高町海老原(ひだかちょうえびわら)
地形図:栃本/村岡
形態:山中に家屋が集まる
標高:約540m
訪問:2010年11月

 

 町の西南部、観音寺(かんのんじ)川の最上流部にある
 最近の地図では観音寺川沿いの道は破線になっているが、だいぶ奥まで自動車で行くことができる。
 徒歩で山道をしばらく進むと、分岐点に石仏(写真1)がある。「左 みやうけん」とあり、八鹿町の妙見(みょうけん)や日畑(ひばた)に至る古い道であることが分かる。これを過ぎしばらく進むと、谷に水田跡が広がるやや開けた場所に当たる。この付近では古い墓地(写真2)を確認。倒潰した小屋(写真3)もあるが、この谷沿いにも家があったのかは不明。分岐する谷を少し登ってもう1箇所墓地(写真4)を確認したが、この付近から道を失い、地図上の建物の場所に至ることはできなかった。墓のある尾根上を登り傾斜が緩やかな場所に出たが、生活の痕跡はまったく見られず。
 観音寺の方の話では、覚えている範囲で2軒(昭和40年くらい?)。当時海老原から5、6人の小学生が三方(みかた)小学校に通っていたが、通学が大変だったためか冬は家族で下に降りて暮らしていたという。炭焼きや植林・自給用の田畑を作って暮らしていた。
 町史によると、「海老原村」明治7年7戸25人。
 「角川」によると大字海老原は近世の気多郡海老原村。明治22年三方村(のち日高町)の大字となる。明治24年5戸男13・女13、大正9年4戸34人、昭和元年3戸22人。「現在(※刊行当時)残る1戸は冬に村を下りる生活となった」とある。

 


写真1 道中の石仏

写真2 墓地

写真3 平地(奥に倒潰した屋根が見える)

写真4 墓地

写真5 高所の緩い傾斜地

 

戻る 前へ 次へ 市町村選択ページへ 都道府県選択ページへ トップページへ