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◆味土野(みどの)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「宮津」(昭和23.3)を使用したものである

在:京丹後市弥栄町須川(すがわ)
地形図:日置/宮津
形態:山中沿いに家屋が多数集まる
離村の背景:多くが豪雪(数世帯現住)
標高:約350〜400m
訪問:2010年8月

 

 大字須川の南部にある
 細川忠興の正室・たま(明智光秀の娘。洗礼名ガラシャ)幽閉の地としてその名が知られ、集落の南部には碑(写真1)や案内板がある。かつては多くの家屋が集落内にあったようだが、現在は広い農地や農地跡に数軒が点在するのみ。現在は休業している町営の宿泊施設「山の家ガラシャ荘」(写真4)は、かつて野間小学校味土野分校(昭和46年3月閉校)の校舎(※)
。また公民館の跡(※)には「ふるさと味土野之跡」の碑(昭和59年、住民一同による建立)(写真7)が建ち、台座に刻まれた文章からは集落の変遷などを窺い知ることができる(全文はこちら)。これ以外にも「味土野古寺跡」「三宝荒神跡」「堂山、七堂伽藍之跡」といった小さな石碑も道路脇に見られた。

※ 新聞記事より

 以下は『味土野誌』より。

主な生業は田(ほとんど小作農)・養蚕(多くの家で行っていた)・焼畑(そば・小豆など)
小豆は戦後米に次ぐ換物商品。塩・醤油・魚・菓子などを手に入れていた
炭焼きは少数だったが、養蚕が盛んになってからは蚕室の煖房に多量の木炭が必要になり、炭焼きを行う家が増えた
集落は「林側(はやしがわ)」「中在(なかざい)」「向地(むかいじ)」の3地区に細分され、明治22年4月の姓と軒数は以下のとおり

  角江 木下 金久 江宮
林側 2 9 1 0
中在 10 7 0 1
向地 2 0 6 6

 また『味土野誌』に掲載されている新聞記事によると、牛飼いをする家もあったよう。冬になると積雪で集落は孤立し、記事が書かれた昭和61年当時でも除雪車が入らず、自動車が通れるようになるのは3月になってから。麓からかんじきを履いた郵便配達員が登ってきてくれていたという。

 論文「丹後地方における廃村の多発現象と立地環境との関係」によると、明治初期44戸、平成2年3戸。

 


写真1 碑

写真2 集落風景

写真3 家屋

写真4 学校跡の施設

写真5 屋敷跡

写真6 往時の集落風景(案内板より)

写真7 碑

写真8 墓地

 

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