◇ふるさと味土野之跡・全文
古代から山岳間道の要処で中世に七堂伽藍を完備した真言宗の山寺があり近世の始め宗門の為廃寺となり住民は改宗して曹洞宗洞養寺の檀徒となつた 山寺の御本尊は洞養寺に安置され奥の院の金剛童子と鎮守の座(※1)王権現は集落の守護神として継承し阿弥陀堂跡附近には真言時代の名残を留めている。女城は細川忠興夫人の隠棲地であり男城は地頭支配時代の城塞跡に忠興夫人の家来が駐在した所である。
端郷小杉は慶安元年に拓け昭和三十八年に廃(※2)村となつた 天明の飢饉に味土野小杉合せて六十余人死亡している 又日華事変から太平洋戰爭の戰死者も多(※3)く其内未帰還遺骨多(※3)数外地外洋に眠る。六十余戸あつた戸数は明治の後半から減少し昭和三十八年の豪雪後離村者急増遂に集落機能喪失荒廃は続き尚変遷急速な時勢なり 古代から住民の相互扶助と悲嘆、歓喜、共に労苦の滲む墳墓の地であり出身者の終生忘却出来ない処である
昭和五十九年五月吉日
※1 原文では左側の「人」が「口」
※2 原文ではやまいだれ
※3 原文では異体字。ヨの下に夕
以下は「建立者名標」より姓と転出時期・転出先
姓 |
離村時期 |
転出先 |
木下 |
|
在住 |
木下 |
|
在住 |
木下 |
|
在住 |
角江(※4) |
昭和49 |
大阪府羽曳野市 |
木下 |
〃 |
町内黒部(くろべ) |
金久 |
昭和47 |
〃 |
金久 |
昭和46 |
〃 |
角江 |
昭和45 |
町内溝谷(みぞたに) |
木下 |
〃 |
〃 |
江宮 |
昭和43 |
〃 |
金久 |
〃 |
峰山町 |
江宮 |
〃 |
宮津市 |
木下 |
〃 |
岩滝町 |
江宮 |
昭和42 |
町内黒部 |
角江 |
〃 |
峰山町 |
角江 |
〃 |
岩滝町 |
木下 |
〃 |
峰山町 |
木下 |
昭和41 |
岩滝町 |
木下 |
〃 |
〃 |
江宮 |
〃 |
〃 |
角江 |
〃 |
〃 |
金久 |
〃 |
峰山町 |
木下 |
昭和40 |
町内黒部 |
江宮 |
〃 |
町内小田(こだ) |
角江 |
〃 |
峰山町 |
木下 |
〃 |
大宮町 |
角江 |
〃 |
町内木橋(きばし) |
角江 |
〃 |
大阪府高石市 |
江宮 |
昭和39 |
町内野中(のなか) |
角江 |
昭和37 |
丹後町 |
金久 |
〃 |
網野町 |
金久 |
昭和33 |
愛知県春井市(※5) |
金久 |
昭和28 |
野田川町(※6) |
角江 |
昭和26 |
〃 |
木下 |
昭和24 |
大阪府四條畷市 |
角江 |
昭和23 |
宮津市 |
木下 |
昭和14 |
静岡県富士市 |
木下 |
昭和9 |
宮津市 |
江宮 |
昭和8 |
〃 |
江宮 |
昭和5 |
〃 |
江宮 |
昭和2 |
峰山町 |
江宮 |
(記載なし) |
世屋(せや)村(※7) |
木下 |
(記載なし) |
五十河(いかが)村(※8) |
※4 記載されているすべての角江姓の「角」は、最後の一画が下に突き抜ける
※5 春日井市の誤記だろう
※6 現在は与謝野町の一部
※7 世屋村は、宮津市北部にあった村。上世屋(かみ―)・下世屋(しも―)・畑(はた)・松尾(まつお)・東野・駒倉・木子(きご)の地域
※8 旧五十河村は、大宮町東部にあった村。五十河・久住(くすみ)・新宮(しんぐう)・延利(のぶとし)・明田(あけた)の地域
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