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◆駒倉(こまくら)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「宮津」(昭和23.3)を使用したものである

所在:宮津市駒倉
地形図:日置/宮津
形態:山中に家屋が多数集まる
標高:約370m
訪問:2010年8月

 

 世屋(せや)地区西部の山中にある。宮津市内だが、弥栄町を流れる宇(う)川の水系に立地。
 市内・弥栄町・大宮町からそれぞれアクセスがあるが、市内の府道618号(未鋪装)からが比較的訪れやすい。
 集落跡は、府道と林道の合流点付近から少し北側に降りた辺り。「駒倉廃村の碑」(昭和47年建立)(写真1)があるので分かりやすい。ほか近辺には防火水槽や寺院(唯念寺)の跡(写真3)、屋敷跡が見られ、姓と移転時・移転先が刻まれた石碑が建つものもある。屋敷跡は西側に向かってしばらく続き、その規模は当時を窺わせる。また林道を滝脇小杉方面に下ると、谷に沿って農地の跡も確認できる。
 また小学校の分校もあり、その跡地は府道から集落へ至る途中。集落からは離れているが、碑(写真5)が建っているのでそれと分かる。敷地で痕跡を探してみたが、隅にコンクリート製?の小さな水槽を見つけた程度。碑によると分校は「宮津市立世屋上小学校駒倉分校」。明治36年12月、世屋上尋常小学校駒倉分教場として開場。昭和41年3月廃校。碑は平成14年7月に、廃村30周年記念に建てたもの。
 以下は「宝珠山唯念寺跡」の碑の「唯念寺沿革」全文(新旧字体の混在は、原文のまま)。


 當寺ノ開基ハ元久二年ノ頃平家ノ残黨矢野十郎ナルモノゝ弟同苗五郎親鸞聖人ノ從徒トナリ法号ヲ祐念ト賜リ本所ニ一宇ヲ創建シ之ヲ阿弥陀堂ト称シ宮津市佛性寺ノ支坊デアッタ明治十三年九月三十日唯念寺ノ寺号公称ヲ京都府ヨリ認可其後祖家ノ離散ニヨリ昭和三十九年九月二十一日京都府ヨリ廃寺ノ認可アリ往古ヲ偲ビ昭和四十二年六月此ノ碑ヲ建テル


 なお大字駒倉は近世の与謝郡駒倉村。明治22年世屋村の大字となる。明治21年46戸。昭和41年世屋上小学校駒倉分校廃校
(角川)。
 
論文「丹後地方における廃村の多発現象と立地環境との関係」によると、明治初期42戸、昭和37年26戸、昭和47年に無人化(市史によると5月)。

 


写真1 廃村の碑。「宮津市駒倉区四十八戸」とある

写真2 寺院跡の石段

写真3 「宝珠山唯念寺跡」の碑

写真4 墓碑。寺院跡にて

写真5 「駒倉分校廃校跡」の碑

 

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