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◆小杉(こすぎ)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「宮津」(昭和23.3)を使用したものである

在:京丹後市弥栄町須川(やさかちょうすがわ)
地形図:日置/宮津
形態:山中に家屋が集まる
離村の背景:最終は豪雪?
標高:約350〜450m
訪問:2010年8月

 

 大字須川の南部、味土野の東にあり、宮津市との境界に近い。
 
訪問時は府道75号より。地形図の破線を頼りに川へ降りると、意外なほど大きな橋が架かっている。また集落までの道もある程度の幅があるが、二輪車の往来程度はあったのだろうか。ただし全体的に荒廃がひどく、到達には労力を要する。
 道脇に石垣が見える場所が集落の跡。屋敷跡がいくつか見られるが、そのうち1箇所には蔵も残っていた(写真3)。また道沿いには「小杉六戸」と刻まれた石碑(昭和39年建立)もある(写真5)。この近辺より山側にも住宅や墓地などがあったようだが、道の荒廃のため訪れることはできなかった。集落内はあまり荒れておらず、また踏み跡も見られる。宮津市の木子(きご)方面から訪れる人がいるのだろうか。
 資料『味土野誌』には、大正時代の火災の様子が以下のように述べられている。

「大正時代にソラヂが二戸全焼し間もなく下地が1戸を残し他は全焼した。水の便が悪く味土野からも大勢駆けつけたが大火災となったという。」

 「ソラヂ」は「下地」に対し高所にある家屋群を指していると思われる。「下地」は、今回探索できた付近一帯のことだろう。
 また同資料より転出の状況は以下のとおり。

転出時 転出先 昭和29年時の家族人数
小倉 昭和34 宮津市 4
小倉 昭和36.6 丹後町間人(たいざ) 4
木下 昭和36 秋 大阪府 8
小倉 昭和36 宮津市上世屋(かみせや) 2
小倉 昭和37 峰山町 5
小倉 昭和37 秋 岩滝町 5
小倉 昭和39 網野町 6

※ 「小杉の行事も昭和36年を最後に…」という記述があることから、石碑の「小杉六戸」はこの後の戸数のことだろう


 『ふるさと野間』によると、大正12年電灯の導入。
 論文「丹後地方における廃村の多発現象と立地環境との関係」によると、明治初期9戸、昭和33年5戸、昭和39年に無人化。味土野の端郷。木地屋集落。

 


写真1 石垣

写真2 屋敷跡

写真3 蔵 

写真4 電柱

写真5 石碑

 

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