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◆御弟子(みでし)



※ この地図は、内務省地理調査所発行の1/50,000地形図「甲府」(昭和21.10)を使用したものである

在:身延町折門(おりかど)字御弟子
地形図:市川大門/甲府
アクセント:ミデシ
形態:山中に家屋が集まる
標高:約850〜900m
訪問:2010年3月

 

 町北部、反木(そりき)左岸の山中にある。
 当集落は折門の所属となるが、折門の本村は尾根を越えた隣の水系にある。
 地元の方(八坂(はっさか)在住)の話では、かつては道上に2軒・道下に6軒の計8軒。道上には学校(後述)があったという。平成21年の夏に最後の住民が亡くなり無人に。製炭・蒟蒻芋の栽培が主な収入源で、自給用の作物(豆や雑穀)も作っていた。若い人が集落を離れていき、少しずつ住民が減っていった。転出先はばらばら。
 集落では茶畑(おそらく後年の転作だろう)が今も管理されている。訪問時、出身の方(現在は遠方に在住)が連休を利用して畑の手入れに訪れていた。現在は他の人の手に渡っているという。
 現在、道上には1軒の家屋と学校跡(写真3)・神社(写真4)が残る。道下には茶畑のほか長屋のように連なっている家屋が数軒、独立している家屋が1軒、墓地などがあり、かつての雰囲気が残っている。
 なお学校は古関(ふるせき)小学校・中学校の折八(おりはち)分校。さきの八坂の方が通っていたころは、小・中併せて70人以上の児童・生徒が在籍していたという。校区は大字折門(折門・御弟子・沢(さわ))と大字八坂(大八坂(おお―)・三ッ沢(みつざわ))。昭和28、9年くらいまでは本校は下九一色(しもくいしき)(※)小学校・中学校だったが、以降は古関の分校になった。小学校は昭和50年くらいに廃校、中学校はそれよりも早かったそう。最近までは校舎が残っていたが、取り壊されてしまった。

 以下は「角川」より小学校の沿革

 明治10  折門分教場設立
 明治22  下九一色尋常小学校折門分教場となる
 昭和16  下九一色国民学校折門分教場となる
 昭和22  下九一色小学校折門分校となる
 昭和26  下九一色小学校折八分校となる
 昭和29  古関小学校校折八分校となる
 昭和48  廃校

※ 下九一色村はのちの三珠町【現・市川三郷町】。大字折門が明治29年11月に古関村(のちの下部町)に編入したことに伴い、折八分校の所属が移された

 


写真1 集落風景 好天時は富士山を望む(右上)


写真2 家屋群


写真3 学校跡


写真4 神社

 

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