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◆峰切(みねぎれ/ムネギレ)



※ この地図は、大日本帝国陸地測量部発行の1/50,000地形図「十津川」(大正3.5)を使用したものである

所在:十津川村那知合(なちあい)
地形図:十津川温泉/十津川
形態:山中に家屋が少数集まる
離村の背景:集団移転
標高:450?〜550m(登り口は約230m)
訪問:2010年7月

 

 山手(やまて)川上流、右岸の山中にある。那知合の「キレ」のひとつ。
 以下は地元の方(元住民。家は明治期に那知合より転入)の話を要約したもの。

もと9軒。明治23年、北海道(後の新十津川町)への入植に際し6軒が転出
昭和52年(※1)
、過疎化のため那知合とともに全戸移転。村からの働きかけではなく、住民の意思による自主的なもの。下切(しもぎれ)(※2)のほか、五條市・新宮市に移る家もあった
北海道への移住後も、新たな転入や転出が度々あった。昭和27年には2世帯が転出(それぞれ新宮市・村内平谷へ)
当初は集落まで道路を敷設する計画があったが、年配の人々は運転免許を持たないため恩恵が少なく、移転を決意。村が山林を買い取り、その資金でライフラインや公民館などが設置された

 資料『十津川の地理』および『十津川』では昭和34年7戸52人。『十津川採訪録』によると、那知合の氏神加茂神社(通称「剣の宮」)が集落最上部に鎮座。家々は以下のとおり(下から順)。

番号 屋号 備考
1 日浦 後木(うしろぎ) 3の分かれ。以前は和歌山から転入した大野家(村内小原(おはら)へ移住)。その前は塩崎家(断絶)
2 (ひがし) 以前の世帯は中家(屋号同じ)
3 2のインキョ。元の世帯は中家(屋号同じ。北海道へ移住)
4 西 上垣  
5 中前 元の世帯は塩崎家?(北海道へ移住)
6 中根 大家(おおいえ) 元の世帯は別の大家家(大塔村【現・五條市】へ移住)。7の上手にあった「ナカネヤシキ」より転入
7 大江 栗栖 元からの家
8 千葉 元の世帯は前谷家(屋号同じ。北海道へ移住)

 訪問は「峯切口」のバス停より。南東に延びる尾根上の僅かな平地に、家屋や農地跡が連続して立地。残っている家屋は4軒、物置小屋の残る屋敷跡が1箇所見られた。最上部には古い墓地もある(写真5)。
 なおバス停からよりも下切からのほうが、道も良く登りやすい。途中の家屋まで物資運搬のためのモノレールが設置されている。バス停方面・下切方面からの合流点に何かの小平地があるが、峰切に含まれるのか、また何が建っていたのかは不明。

※1 ただし「角川」では昭和53年とある
※2 現在の那知合の中心である川沿いの地区。もとは3軒の小集落

 


写真1 農地と廃屋

写真2 廃屋

写真3 廃屋にて

写真4 椎茸乾燥機

写真5 古い墓地

写真6 何かの跡

 

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