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◆那知合(なちあい)



※ この地図は、大日本帝国陸地測量部発行の1/50,000地形図「十津川」(大正3.5)を使用したものである

在:十津川村那知合
地形図:十津川温泉/十津川 
アクセント:チアイ
形態:山中に家屋が少数集まる
離村の背景:災害、
のち集団移転
標高:300〜550m?
訪問:―

 

 山手(やまて)川上流、右岸の山中にある。大字那知合の「キレ」のひとつ。
 以下は地元の方(峰切出身。家は水害まで那知合にあった)の話を要約したもの。

集落に関する最も古い記録は、平治元年、和歌山の串本から塩崎(しおざき)氏が住みついたというもの(※1)
もと22軒。明治22年の大水害で潰滅。1軒は峰切に移住したが、その他の家は北海道(後の新十津川町)に入植。なお、大字全体では水害後34戸から7戸に減少した。その後10軒が転入
水害以前は十王(じゅうおう)寺という寺院があった(臨済宗)
昭和52年(※2)、過疎化のため峰切とともに全戸移転。村からの働きかけではなく、住民の意思による自主的なもの。大字内の下切(しもぎれ)(※3)に新たに多くの家屋が作られた
村が山林を買い取り、その資金でライフラインや公民館などが設置された

 『十津川の地理』および『十津川』によると、昭和34年4戸28人。『十津川採訪録』によると「浦地」と呼ばれる場所で那知合の中心であったが、明治の水害で衰退したという。氏神は峰切にある加茂神社(通称「剣の宮」)。家々は以下のとおり。

番号 屋号 備考
1 前屋 久保 もとの世帯は前屋家(屋号同じ。北海道へ移住)
2 大屋 内野 もとは前谷家?(北海道へ移住)。長野切の「辻本」のインキョ
3 後久保 温井 もとは松実家(北海道へ移住)
4 松屋 泉谷 もとは別の世帯(北海道へ移住)


※1 『十津川採訪録』では下切に塩崎姓がある
※2 ただし「角川」では昭和53年とある
※3 現在の那知合の中心である川沿いの地区。もとは3軒の小集落

 

 

◆◆写真はありません◆◆

 

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