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◆湯之谷(ゆのたに)



※ この地図は、大日本帝国陸地測量部発行の1/50,000地形図「十津川」(大正3.5)を使用したものである

所在:十津川村湯之原(ゆのはら)
地形図:十津川温泉/十津川
異表記:湯ノ谷・湯の谷
アクセント:ユノタニ

形態:山中に家屋が集まる
標高:約300〜430m
訪問:(2010年9月)・2013年12月

 

 大字湯之原の南東部、十津川左岸の山中にある。武蔵(むさし)・湯之原両大字の境界にも近い
 古い地図には湯之谷(河川)の右岸・蟻之腰(ありのこし)谷の左岸より登り口がある。まず湯之谷からの訪問を試みたが、地図上の道からは外れており早々に引き返した。蟻之腰谷からの訪問では集落から西に延びる尾根には近付いたものの、途中で路肩の石積みが崩落しており(写真)進むことはできなかった。
 のち湯之平(ゆのひら)で話を伺うと、湯之谷左岸を登るルートがあるとのこと。話では、昭和40年くらいに1軒。昭和32年に大火があり、3軒が焼失したが4軒は残る。林業が主体の集落。最後の1軒は転出後に家を外国人に貸し、時々訪れていたというが、現在人の行き来はないとのこと。なお通学は武蔵(むさし)小学校・小原(おはら)中学校。
 資料『十津川の地理』(昭和36年刊)には「湯之谷5戸31人(明治22年9戸)」とある。

 2013年、改めて親之谷左岸より訪問。最初の堰堤の付近(約240m)では稼働中の平瀬簡易水道(浄水場)(写真2)と何かの施設の跡が見られたが、いわゆる親之谷集落には含まれないと思われる。さらに谷沿いの道を進み、いくつかの分岐を集落へ向かって進むと現地に到着。平地にかなり乏しく、宅地周囲の傾斜地も畑の跡と思われる。もっとも状態の良い家屋は先述の「最後の1軒」および外国人の別宅と思われ、「〜庵」との看板が掲げられている。ほか廃屋が1軒、屋敷跡?が1箇所。北側の尾根上の平坦地にも何かの跡が見られたが、人家であったかは不明(写真9・10)。またこの尾根には段々になった墓地(写真12)があり、複数の岡田家のほか、伊藤氏・口寸保氏のものも見られた。
 この時も地元の方に話を伺う機会があったが、やはり離村は昭和40年ではないかとのこと。

 


写真1 集落への道(分断されている)


(写真2 浄水場)(以下2013年撮影)

(写真3 何かの施設跡)

(写真4 遺構と小祠)

写真5 廃屋

写真6 廃屋

写真7 家屋

写真8 石仏

写真9 何かの跡

写真10 何かの跡

写真11 小社

写真12 墓地

 

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