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◆盛山(もりやま/ムリャー)



※ この地図は、陸地測量部発行の1/200,000地形図「石垣島」(明治23.11)を使用したものである

在:石垣市盛山
地形図:白保/石垣島
形態:平坦地に家屋が集まる
標高:数十m
訪問:2010年12月

 

 市の南東部にある。かつての集落は轟(とどろき/トゥドゥルキィ)川の左岸、国道を西に少し入った場所にあったよう。また明治期の古地図には10数軒の家屋のほか、番所・カチヤ(鍛冶屋)・久場本嶽といった文字も見える。
 以下は市史より戸数・人口の動態。

  明治6 明治13 明治23 明治25 明治36 明治38 明治39 明治40 明治41 明治42 大正5

大正6

大正8 大正10 大正14 昭和4 昭和5 昭和20
戸数 9 19 18 16 15 16 14 14 14 2 2 5 5 8 2 1 0
人口 17 54 40 42 36 39 37 32 30 30 5 5 5 8 39 11 4 0


 以下は市史より引用。

大正6年に事実上廃村となったが、その後盛山域内に入植した人々がいたよう
平成6年現在、大字域内に人の居住する村はない
集落の起源は、明和の大津波(1771年)の後に、竹富(たけとみ)島からの移住者が冨崎(※1)付近に興した富崎村(後の宇良村)からの再移住によるもの。琉球王府による強制移住で、重税やマラリアなどの風土病、強制労働などに苦しみながら暮らした
廃村当時にはタフクヤー(田福屋)・タキムリヤー(竹盛屋)の2戸。タフクヤーの女性が集落の頽廃を悲しんだ歌が現在も語り継がれている
現在も「盛山御嶽(ムリャーオン)(※2)が残っている

※1 市内新川(あらかわ/アラカー)の冨崎(ふさき/フサギィ)と思われる
※2 「御嶽(うたき)」は、琉球の信仰に基づいて作られた宗教施設。「オン」は八重山での呼称

 現在の大字盛山地内は大部分が畑になっており、その中に牛舎が点在している。市史に記載されている「元の盛山集落」も、現在は農地。古い井戸(写真2)の場所は、農作業をしていた方に教えていただいた。御嶽の背後では、新石垣空港の工事が進行中。

 


写真1 「番所」付近(白いものは干草?のロール)

写真2 井戸

写真3 御嶽遠景

写真4 御嶽にて

写真5 建設途中の空港施設

 

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