◆盛山(もりやま/ムリャー)
所在:石垣市盛山
市の南東部にある。かつての集落は轟(とどろき/トゥドゥルキィ)川の左岸、国道を西に少し入った場所にあったよう。また明治期の古地図には10数軒の家屋のほか、番所・カチヤ(鍛冶屋)・久場本嶽といった文字も見える。
大正6
大正6年に事実上廃村となったが、その後盛山域内に入植した人々がいたよう 平成6年現在、大字域内に人の居住する村はない 集落の起源は、明和の大津波(1771年)の後に、竹富(たけとみ)島からの移住者が冨崎(※1)付近に興した富崎村(後の宇良村)からの再移住によるもの。琉球王府による強制移住で、重税やマラリアなどの風土病、強制労働などに苦しみながら暮らした 廃村当時にはタフクヤー(田福屋)・タキムリヤー(竹盛屋)の2戸。タフクヤーの女性が集落の頽廃を悲しんだ歌が現在も語り継がれている 現在も「盛山御嶽(ムリャーオン) 」(※2)が残っている
※1 市内新川(あらかわ/アラカー)の冨崎(ふさき/フサギィ)と思われる 現在の大字盛山地内は大部分が畑になっており、その中に牛舎が点在している。市史に記載されている「元の盛山集落」も、現在は農地。古い井戸(写真2)の場所は、農作業をしていた方に教えていただいた。御嶽の背後では、新石垣空港の工事が進行中。
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写真1 「番所」付近(白いものは干草?のロール) |
写真2 井戸 |
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写真3 御嶽遠景 |
写真4 御嶽にて |
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写真5 建設途中の空港施設 |