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◆横地(よこじ)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「若櫻」(昭和28.12)を使用したものである

所在:八頭町横地
地形図:若桜/若桜
形態:川沿いの斜面に家屋が集まる
離村の背景:移転事業
標高:約320m
訪問:2010年11月

 

 町の東南部、大字横地の細見(ほそみ)川沿いにある
 横地橋付近より登り口があるが、道や集落は灌木などでやや荒れている
。石垣で段々になった農地跡と、屋敷跡を数箇所確認。古い地図で学校が記されている場所を確認しようとしたが、よく分からず引き返してしまった。
 稗谷(ひえだに)の方の話では、かつては3軒。学校は丹比(たんぴ)小学校横地分校。大字横地(横地・侭山)と大字妻鹿野(妻鹿野柞原滝谷)が学区だった。
 以下は「角川」より分校の沿革。

 明治15  横地簡易小学校が中村小学校の分校として開設(※1)
 明治21  妻鹿野簡易小学校を併合
 

 横地分校と改称され、季節間のみの開設となる

 昭和41  廃校(※2)

※1 のち丹比小学校の分校
※2 『八東町 四十五年史』の年表によると横地分校「廃止」が昭和40年9月。二学期からスクールバス運行とある。

 「角川」には「山村の過疎地であったため町が昭和46〜47年にかけて、富枝(とみえだ)に集団移転をすすめ…」とある。しばしば地辷りが起こっていたという。神社は横地神社。同時に集団移転した妻鹿野の妻鹿野神社とともに団地内に奉遷合祀され、登米(とよね)(※3)神社となる。移転時の世帯数は、大字全体で16(※4)

※3 名称は妻鹿野・横地が明治38年まで所属していた登米村に由来
※4 『八東町 四十五年史』によると、うち2世帯は町内の北山(きたやま)と鳥取市へ移住

 


写真1 屋敷跡

写真2 墓地

写真3 コンクリートの槽

 

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