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◆抜位(ぬくい)



※ この地図は、相生市史国の付図より国土地理院発行の1/50,000地形図「上郡」(昭和9)を使用したものである

所在:佐用町大釜(おおがま)
地形図:二木/上郡
形態:山中に家屋が集まる
標高:約390m
訪問:2010年11月

 

 大字大釜の中部にある。かつては別々の村に所属していた大釜とはごく近い距離にあるが(後述)、のち大釜に編入されたことからもその関わりも深かったと思われる。
 訪問は上郡町の旭日乙(あさひおつ)の黒石(くろいし)より。地図には記載されていないが、しっかりした道が通じている。その道幅や踏まれ具合、石仏の存在など、かつては多くの往来があった主要な道であったことが窺える。石仏(写真1)は黒石よりしばらく進んだ分岐にあり、
「左 くろい志 右 志ん志゛く(※1)」と刻まれている
 抜位の手前、小赤松(こあかまつ)方面?への分岐には「福本■■(判読できず)紀功碑」(写真2)が建ち、「電燈 大正十四年四月 道路 昭和五年三月 新設記念」とある。また道標も兼ね、「右 くろいし 左 いちばら?(※2)」とある。「拔位大釜建之」とあり、各集落の結び付きの強さも窺える。
 集落では農地跡と1箇所?の屋敷跡、観音の堂宇(写真5)を確認。どこからか車道がつながっており(久崎(くざき)からと思われる)、資材置き場もあった(写真6)。堂宇は比較的新しく、「赤穂郡八十八ヶ所霊場 第八十番札所 本尊千手観音」という看板も掲げられている。この車道を利用して、最近になって改修したのだろうか。
 なお「角川」によると、もと赤松(あかまつ)(※3)旭日(あさひ)字抜位。昭和30年、久崎(くざき)町上秋里(かみあきさと)字大釜に編入し、大字大釜の小字となる。昭和40年代まで集落があった。

※1 近世の東新宿(ひがししんじゅく)村(のちの三日月町)のことだろう
※2 詳細は不明
※3 のちの上郡町

 


写真1 石仏

写真2 碑

写真3 屋敷跡

写真4 農地跡にて

写真5 観音堂

写真6 資材置場

写真7 古い墓地

 

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