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◆蛼(こおろぎ)
※ お使いの環境によって、文字が正しく表示されないことがあります(【虫へんに車】)




※ この地図は、国土地理院発行の1/50,000地形図「松本」(昭和37.8)を使用したものである

:安曇野市豊科田沢(たざわ)字蛼
(昭和30年までは東筑摩郡)
地形図:豊科/松本
アクセント:ーロギ
形態:山中に家屋が集まる
離村の背景:災害
標高:約780m
訪問:2015年11月

 

 大字田沢の北部にある。四賀村【現・松本市】五常(ごじょう)との境界に稜線を越えて突き出た部分があるが、この中に集落があった。
 田沢は旧上川手村(東筑摩郡)に所属していたが、のち上川手村が明科町の一部・豊科町の一部にそれぞれ分離、蛼の所属する田沢は豊科町の一部になったため、南安曇郡に所属することになった(昭和30年)。
 五常の麻生(あそう)で伺った話では、かつては4軒。地辷りが起こり、家の跡は残っていないという。
 また町誌によると、養蚕・炭焼き・畑作(麦・大豆・そばなど)・凍み豆腐作りなどを生業として昭和40年代まで人が暮らしていたという(戸数は4戸ほど)。以下のような地名の由来がある(要約)。

 平家が滅びる1年前の寿永3(1184)年、源義経の大軍に敗れた木曽義仲の家来の1人が落ち延び、この地にたどり着いた。道中の疲れがひどく休息していると、辺りにはコオロギの鳴き声が響き渡っていた。これに聞き惚れているうちにしばらく眠ってしまったが、突然鳴き声が止まったことに気付く。すると追っ手が間近に迫っており、すかさず身を潜めてこれをやり過ごした。もう二度と追っ手が来ないと考え、この地に住み着くことに。コオロギのお蔭で命が助かったので、ここを「こおろぎ(蛼)」と名付けた。

 2010年5月、付近を訪れた際は遠景を望んだのみであったが、2015年11月改めて現地を訪問。地形図では795mの標高点の南東で道が途切れているが、ここより西側では地辷りの工事により整然とした一画になっている。西へ進み再び山林に入ると車道の続きが現れ、本来は五常の麻生へと通じていたよう。工事跡と元の山林との境目には散乱した生活用品や浴槽(写真3)、倒潰した屋根が見られ、宅地のごく一部が地辷りを免れたものと思われる(ただし浴槽は元からこの位置にあったものではないよう)。

 


写真1 集落跡


写真2 屋敷跡の一部


写真3 写真2そばの浴槽


写真4 地辷り対策工事の看板。「こおろぎ2工区」とある


写真5 集水井の看板。「こおろぎ」の文字が見える

 

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