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◆内山(うちやま)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「宮津」(昭和23.3)を使用したものである

在:京丹後市大宮町五十河(おおみやちょういかが)
地形図:日置/宮津
形態:山中に家屋が集まる
標高:約450〜500m
訪問:2010年8月

 

 大字五十河の北東部、宮津市との境界に近い場所にある。
 現在はブナ林の観察の拠点としてある程度整備され、訪れる人も多いよう。
 自然観察施設「ブナハウス内山」(写真1)付近には多くの案内板があり、集落について触れたものもある。以下は案内板より「内山の歴史」の全文。


 標高五〇〇メートルに位置するここ内山地区には大宝年間(七〇一〜七〇四)に高尾山妙法寺が建立され、人々が住み始めた。この地区の農家は、田上(「たうえ」、「たのうえ」)姓を名のり、高地にもかかわらず広大な田畑を拓き、近年まで農業を営んできた。しかし、かつて一六戸あった農家が、昭和初期には七戸に減り、昭和一〇年には一戸となった。その後、最後の一戸も昭和四八年に下山し、廃村となった。
 この地区のブナ・ナラの木は、昔、薪として利用されていたが、現在では、丹後上世屋内山京都府立自然環境保全地域に指定され、貴重な自然として大切に守られている。


 現地では鳥居と碑が残る三柱神社(昭和55年遷宮)の跡地(写真3・4)・石仏が残る寺院の跡地(写真5)が確認できるほか、「内山集落跡」の碑(写真6)が建ち、これは最後の住民の屋敷跡の碑も兼ねている(「田上■■/▲▲屋敷跡」(※)「昭和四十八年四月六日離村」と刻まれている)。

 論文「丹後地方における廃村の多発現象と立地環境との関係」によると、明治初期16戸、昭和2年7戸、昭和8年1戸、昭和45年に無人化。案内板とは若干の違いがある。五十河の端郷。

※ ■■・▲▲は夫婦の名

 


写真1 自然観察施設

写真2 案内板より

写真3 神社跡。石段

写真4 同。鳥居と石碑

写真5 寺院跡の石仏・石塔

写真6 碑

写真7 石垣

 

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