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◆入山(いりやま)



※ この地図は、内務省地理調査所発行の1/50,000地形図「信濃池田」(昭和21.12)を使用したものである

所在:生坂村
地形図:明科/信濃池田
アクセント:イリヤマ
訪問:2010年5月

 

 村の東部山中にある。
 偶然訪れていたかつての住民(後述のこやんた出身・昭和25年生)の話では、下流より清水平(しみずだいら)・こやんた・入屋敷(いりやしき)・奈良尾(ならお/ナロー)の小集落よりなる。夏は養蚕、冬は炭焼きをして暮らしていた。集落付近には昭和20年代後期くらいまで石炭の鉱山があり、鉱山関連の仕事に就く人も少数いたという。

 


≪清水平≫

アクセント:シミズダイラ
形態:川沿いに家屋が集まる?
標高:約500m?


 入山地区では最も入口に近い集落。
 昭和30年ころには3軒が暮らしていたそう。
 詳しい場所を伺わなかったので集落の場所は推測だが、林道を入ってすぐの谷の分岐付近(地図のスキャン画像の右上)か。
 廃屋が1軒、竹藪に覆われた屋敷跡が1箇所見られた。

 


写真1 廃屋


≪こやんた≫

異表記:小谷田
アクセント:コヤンタ
形態:山中に家屋が少数集まる
標高:約650m


 入山地区西部の稜線近くにある。現在の車道の終点。集落背後の山中には、村の文化財であるツガの木がある(写真3)。
 家は本家と分家の2軒。最近まで入山地区最後の1軒が暮らしていた。現在でも転出先と現地を行ったり来たりして暮らしている。

 


写真2 家屋


写真3 ツガの木

写真4 墓地

 

≪入屋敷≫

アクセント:イリヤシキ
形態:山中に家屋が集まる?
標高:約600m?


 入山地区中部の集落。
 昭和30年ころには3、4軒が暮らしていたそう。
 詳しい場所を伺わなかったので集落の場所は推測だが、林道から奈良尾までの間にある家屋群か。この場所には蔵の残る屋敷跡が見られる。

 


写真5 屋敷跡

 

≪奈良尾≫

アクセント:ナラオ
異表記:名郎(案内板)
形態:山中に家屋が少数集まる
標高:約670m


 入山地区最奥の集落。地図のスキャン画像で神社・学校・墓地のある付近。
 昭和30年ころには2軒が暮らしていたそう。
 学校(生坂中央小学校入山分校)の校舎は半壊しながらも残っている(写真6)。校舎前には「旧生坂入山分教場跡」の案内板(平成9年・村教育委員会設置)がある。以下はその全文。

 明治十九年、丸山、井口宥泉氏宅に支校開設。同四十二年、井口運玄氏宅に移り山裏分教場となり、同四十四年、入山名郎の地に新築移転入山分教場となる。井口茂先生は同四十二年より昭和二十五年まで四十一年間親子を教えた。同窓会では昭和二十二年、徳碑を天王様へ建立した。昭和四十年、生坂北小学校に統合廃校となる。

 屋敷跡は学校を過ぎ、少し南側に行った場所にある。おそらく2軒は近い場所で隣接。墓地(写真12)はこの南の尾根上にある。付近にはベンチがあり、丸山方面の山々を望む。

 


写真6 校舎

写真7 宿直室?

写真8 2階窓際

写真9 「べんきょうえほん」

写真10 井口茂氏の頌徳碑

写真11 屋敷跡

写真12 墓地

 

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