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◆力石(ちからいし)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「網野」(昭和43.3)を使用したものである

在:京丹後市丹後町力石(たんごちょう―)
地形図:丹後平/網野
形態:谷沿いの斜面に家屋が集まる
離村の背景:火災・豪雪
標高:約190m
訪問:2010年8月

 

 町の中南部、竹野(たけの)川右岸の支流奥にある大石より東の小さな峠を越えた場所。
 府道沿いに石垣が見られ、それとなく分かる。林の中を探索すると、段々になった平地が多数見られる。なお学校(後述)の位置は集落から少し離れた上手の平坦地。猛烈なカヤを掻き分け痕跡を探そうとしたが、何も見つけることができなかった。
 町誌によると、昭和32年4月7日夜半過ぎに火災が発生。春風に煽られ大火となり、26戸中24戸が全焼、罹災者111人。分校校舎が罹災者の臨時収容所となった。国の災害救助法が発動された。この大火と昭和38年の豪雪後に離村が相次ぐ。石久々里神社(字宮ノ下)は昭和44年9月に吉永神社に合祀。


 なお大字力石は近世の竹野郡力石村。明治22年八木村(のち豊坂村)の大字となる。明治21年28戸。大火の後離村が相次ぎ、昭和50年には全戸離村。明治8年力石・大石神主一段の4箇村を通学区とした力石小学校が創設された。のち豊栄小学校力石分校となる。昭和38年の豪雪で校舎倒壊。僅かな田畑と薪炭業で生計を立てていた
(「角川」より)。
 また論文「丹後地方における廃村の多発現象と立地環境との関係」によると、明治初期31戸、昭和35年5戸、昭和45年1戸、昭和49年に無人化。火災は昭和34年とあり、町誌・角川とは異なる。

 


写真1 石垣

写真2 屋敷跡にて


写真3 学校の記号がある場所

 

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