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◆神主(こうぬし)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「網野」(昭和24.5)を使用したものである

在:京丹後市丹後町神主(たんごちょう―)
地形図:丹後平/網野
形態:谷沿いの斜面に家屋が集まる
離村の背景:豪雪など
標高:約190m
訪問:2010年8月

 

 町の中部、宇(う)川左岸支流沿いにある
 車道沿いに1軒の廃屋があったほか、屋敷跡が数箇所。脇道の奥にはやや広い墓地がある。訪問時は学校(後述)が大石にあると誤解し、本来の位置を確認しなかったことが悔やまれる。学校の沿革については、力石のページ、「角川」からの引用を参照。
 町誌によると、字神牛に三柱神社がある。また曹洞宗の寺院、祈栄山神勝寺があったが昭和4年廃寺。

 大字神主は近世の竹野郡神主村。明治22年八木村(のち豊坂村)の大字。明治21年15戸、大正13年11戸77人、昭和30年12戸71人、昭和45年6戸15人。主に薪炭で生計を立てていたが、戦後の経済変化と昭和38年の豪雪が原因で、同53年全戸離村。昭和38年の豪雪で豊栄小学校力石分校倒壊後、当地に校舎を新築したが、離村と児童数の減少で昭和51年3月自然廃校。三柱神社は今も小祠を残すが、曹洞宗祈栄山神勝寺は廃寺となっている(「角川」より)。
 論文「丹後地方における廃村の多発現象と立地環境との関係」によると、明治初期17戸、昭和40年8戸、昭和53年に無人化。

 


写真1 廃屋

写真2 廃屋にて

写真3 屋敷跡の石段

写真4 石仏群

写真5 墓地

 

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