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◆宮代(みやしろ)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「龍神」(昭和28.7)を使用したものである

所在:田辺市中辺路町兵生(ひょうぜい)
地形図:恩行司/龍神 
アクセント:ミヤシロ
形態:川沿いの斜面に家屋が集まる
離村の背景:集落整備事業
標高:約320m
訪問:2007年7月・2008年1月・2010年2月

 

 富田(とんだ)川と宮代谷の合流地点付近にある。兵生のなかで最も人口が集中し、学校もあるいわば兵生の中心部。
 集落は橋を渡った斜面にある。橋は軽自動車で渡れるくらいの幅があり、渡ったあとは学校まで車道が延びている。芦尾(あしお)小学校兵生分校(=兵生209番地)・二川(ふたかわ)中学校兵生分校(=兵生206番地)は、植物に覆われた校舎が今も残る(写真2)。廃校後牛舎として利用されたため床は全て外されていたが、廊下や部屋割りはそのまま残されている。昭和49年、集団移転に伴い閉校。学校の裏手には小さな社が祀られ、お供えの酒があったりと時々は訪れる人がいるよう。
 見つかった家屋は6、7軒ほど。西姓・林姓など。学校の裏手北側には、朽ちた寺院(写真6。2010年訪問時倒潰)と石仏、段々になった墓地の跡を確認。
 
 地元の方(
和久保出身・昭和29年生)の話では、10数軒の民家があったそう。1軒がしばらく移転を拒み続けたが、1年を待たずしてついに転出。その間、子供は大字川合(かわい)にある二川(ふたかわ)小学校まで通っていた。寺院は福泉(ふくせん)寺といい、多くの住民の移転先である川合の朝来平(あそだいら)に移転。
 また別の方の話では、芦尾小学校本校は、大字福定(ふくさだ)の三善橋(みよしばし)バス停付近にある木材加工場の辺りにあった。「芦尾」という名称は地名には見られないが、付近の「芦(あし)谷」という谷に由来するという。

以下は「町史」から分校の沿革。

 昭和24.1  兵生分散教授所を置く(二川中)
 昭和36  兵生分校開校
 昭和47.3  兵生分校廃校式(芦尾小・二川中)
 昭和49  兵生分校廃校

以下は『百年史 二川小学校』より兵生分校に関する沿革を要約したもの。

 明治36.3  第三二川尋常小学校(芦尾小学校の前身)創立。兵生を分教場とする
 昭和11.12  兵生分教場落成式
 昭和24.1  兵生分教場内に二川中学校兵生分散教授所を開所
 昭和28.1  中学校分教場校舎落成

 


写真1 分校跡地・モニュメントと石碑


写真2 校舎


写真3 校舎にて

写真4 校舎にて・廊下

写真5 建物跡

写真6 福泉寺(トップページ使用画像)

写真7 廃屋

写真8 廃屋

写真9 廃屋

写真10 廃屋

写真11 廃屋
≪移転前≫

写真12 集落全景(中央やや上は学校)

写真13 校舎

写真14 福泉寺

 

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