◆稲葉(いなば)
※ この地図は、陸地測量部参謀本部発行の1/50,000地形図「西表島南部」(大正12.6)を使用したものである
所在:竹富町西表(いりおもて)字仲良(なから)
地形図:船浦/西表島西部
アクセント:イナバ
形態:川沿いに家屋が集まる
離村の背景:水害など
標高:数m
訪問:2010年12月
島の北部、浦内(うらうち)川中流左岸にある。付近の古い地図を持っておらず集落の存在は知らなかったが、河口の船着場の方に教えていただいた。
以下は船着場にあった資料およびその場にいた出身者の話をまとめたもの。
最初に稲葉で起こった産業は石炭事業(大正〜昭和初期)。続いて官行の林業・製材業。昭和13年西表島斫伐所開設。干立(ほしたて)や祖納(そない)より人材を確保。昭和19年11月、水害により潰滅。のち森林開発の構想もあったが立ち消えになった
終戦後、干立・祖納より水田の通い耕作が行われた。田小屋に寝泊まりするうち、定住する者も現れる。昭和35年頃には15戸程度の家があった
昭和43年再び水害。当時4戸。罹災をきっかけに転出が相次ぎ、昭和44年には最後の1軒も浦内へと転出
主な生業は次のもの
水田…肥沃な土地であったため、肥料をほとんど使わずに米がよく稔った。収穫量が沖縄一になったこともある。船に積み込み農協へ出荷。
製炭…冬場の農閑期。木炭は川まで水牛に牽かせ、船で出荷
香皮(線香の原料)…田の刈り入れ前の4-5月。船に積み込み農協へ出荷
山林労務…製紙会社の植林地(マツ)の下草刈り。材木の伐り出し
ほか魚やイノシシも少数ながら換金されていた
たいていの家では鶏を飼っており、ほか水牛・犬・猫も多かった。ほとんど放し飼い。鶏は卵や肉の食用として、水牛は農耕や荷役の労働力として、犬は狩猟や番犬として飼育
最後まで電気はなく、ランプで生活していた
通学は祖納の西表小中学校
方言でもイナバといった
稲がよく稔ることが地名の由来ではないかとのこと
家は次のとおり。( )は空家、片仮名は表記不明のものと思われる
左岸下流よりより石垣・平良・古川・宮田・宮良・兼久・ワキモト・大嵩・黒島・マエドマリ・(後浜)・(後浜)・宜間・大竹・前良・富川・後浜・(内原)・小波本・ミンカータンメ(=屋号。内地の人物)・コバシガワ、右岸下流より宮田・真謝・タコウ。
なお水害に関しては、臆測ではあるが上流のカンピレーの滝付近で流木や土砂が水を堰き止め、それが決潰したのではないかとのこと。
訪問は稲葉林道より。かつての家々は林道終点付近からメバラ川付近にかけて分布。現在ほとんどが藪や森に覆われているが、壜や瀬戸物、石垣などが所々に見られ、屋敷跡と思われる場所も数箇所確認できた。冬はイノシシ猟で集落跡に入る人があるので、比較的古い道をたどりやすい。
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