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由布(ゆぶ)



※ この地図は、国土地理院発行の1/50,000地形図「西表島北部」(昭和41.1)を使用したものである

在:竹富町古見(こみ)字由布
地形図:美原/西表島東北部
形態:平坦な島内に家屋が集まる
離村の背景:(数世帯の関係者が現住)
標高:数m
訪問:2010年12月

 

 大字古見の東部、由布島内にある。現在は水牛車で渡る植物園の島として有名な観光地になっている。
 従業員(初代園長の親族)の話では、かつては多くの家があったが台風の罹災をきっかけに離村が始まったという。台風の後も3軒が残ったが、1軒は早々に転出。もう1軒でも住民が亡くなり、のちの初代園長(西表(いりおもて)氏)の世帯だけが残ることに。西表氏が「第二のハワイにしたい」とヤシを植え始めたのが、後の植物園へとつながった。なお島内の住民はすべて園の従業員で、このうち住所があるのは2世帯のみ(総世帯数は10強)。かつての島民の関係者は住んでいない。住民はしばしば入れ替わっており戸数も安定していないという。
 以下はいただいた資料や校門付近の看板より。

・終戦後、竹富島・黒島(くろしま)からの入植者が増え始める
 ―島にはマラリアを媒介する蚊がおらず、また地下から真水も出るので生活用水が確保できた
 ―島は元々西表島の耕作のための田小屋として利用されていた
 ―入植者は対岸の西表島に農地を借り、歩いたり水牛車に乗ったりして耕作に通った
・昭和22年36戸
・昭和23年、竹富小学校の分校として島分教場が設置された
 ―児童生徒合わせて20数人
・昭和33年、石垣島‐由布島間の定期航路開設
 ―島の東側に桟橋が設けられ、満潮時に船が出入りした。船(春風丸)は月に4回
・昭和38年、由布島中学校が大原(おおはら)中学校に統合
・昭和42年、電気が引かれる
・昭和43年、電話開設
・昭和44年9月、台風11号(エルシー台風)
 ―大潮の時期とも重なり全戸が浸水。西表の農地(パイナップル・野菜・稲)も全滅
・昭和45年、由布島小学校閉校(※)
・昭和46年8月、11戸48人が西表島に集団移転。3戸が残留
 ―琉球政府・町役場・住民代表の間で話し合いが持たれ、全島挙げて西表島に移住することが決定した
 ―しばらくして、西表氏はヤシを植え始める。当所は観光地にするつもりはなく、子供たちが喜んで帰って来られる平和な楽園にしたいという願いから
・昭和56年、「由布島植物楽園」開園
 ―観光地化を望む役場の説得に応じる。西表氏が初代園長に就任

※ 別の資料では、昭和46年古見小学校に統合。廃校前に閉校があったか

 


写真1 水牛車と島遠景

写真2 干潮時は自動車も渡る

写真3 水牛車による渡航

写真4 「貝の館」(西表氏の家屋跡地にある)

写真5 井戸

写真6 往時の水瓶?

写真7 碑

写真8 学校の門柱

写真9 学校跡

写真10 水牛の像

写真11 サトウキビ搾り機

 

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