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◆里谷(さとだに)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「栗栖川」(昭和28.6)を使用したものである

在:白浜町里谷
地形図:合川/栗栖川
形態:谷沿いに家屋が集まる
標高:約200〜240m
訪問:2010年2月・2015年4月

 

 日置川右岸の山中にある。
 近世の牟婁郡里谷村。明治22年、川添(かわぞえ)村(昭和31年日置川町に)の大字となる。明治6年10戸34人、明治24年8戸35
人。昭和50年1戸1人。昭和30年代、大塔村【現・田辺市】に合川(ごうがわ)貯水池が完成するまでは、日置川での丸太流しや山仕事が大きな収入源であった。稲作やイモの栽培などが行われていたが、昭和51年廃村となり、転出先は田辺市や大塔村鮎川(あゆかわ)など。地名は、人家のある谷のこと。(「角川」より抜萃)
 集落は日置川支流の小さな谷の上流にあり、鞍部に近い場所。市鹿野(いちかの)の殿山(とのやま)付近から吊り橋を渡り、谷沿いの山道を遡る。
 道中では炭焼き窯の跡がいくつも見られ、山中で製炭が盛んに行われていたことが窺える。またかつて集落に電気を送っていたであろう電柱の基部が、所々に残っている。現地では数箇所の屋敷跡が確認できたほか、墓地もある。農地は緩やかな谷に沿って作られているものが多いが、斜面に石垣を築いて作られたものもある。

 2015年4月、右岸側の上部より再訪。集落の水田跡が見える辺りまで下降した後、やや高い位置を横切る横道を利用。谷の最上流部まで迂回し左岸側も探索。谷沿いの低地を中心に歩いた前回と比べ、多数の屋敷跡と墓地を確認できた。墓地のうち1箇所では新田氏の名を確認。

 


写真1 屋敷跡(以下2010年撮影)

写真2 墓地


写真3 電柱


写真4 炭焼き窯跡?

写真5 何かの跡(以下2015年。概ね探索順)

写真6 屋敷跡

写真7 何かの跡

写真8 墓

写真9 屋敷跡

写真10 道(左)と農地跡(右)

写真11 屋敷跡

写真12 墓

写真13 屋敷跡

写真14 墓

写真15 墓

写真16 屋敷跡?

写真17 墓

写真18 墓

写真19 屋敷跡

写真20 墓

 

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