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◆神宮寺(じんぐうじ)

※ この地図は、内務省地理調査所発行の1/50,000地形図「周參見」(昭和22.4)を使用したものである

在:白浜町神宮寺
地形図:富田/周参見
形態:川岸に家屋が集まる
標高:約10m
訪問:2014年1月

 

 日置川右岸、向平(むかいだいら)・中嶋(なかじま)各大字の間の半島部分。
 近世の牟婁郡神宮寺村。明治22年、三舞(みまい)村(昭和31年日置川町に)の大字となる。明治6年12戸75人、明治24年12戸
68人。昭和50年1戸2人。昭和51年ごろ廃村。山仕事や日置川での丸太流しに従事する人も少なくなかった。(「角川」より)
 集落への降り口は県道の「峠」バス停付近。現在の県道より少し遠回りの旧県道を進むと「鈴木七右衛門の碑(※)」(写真1)があり、この脇に徒歩道が続いている。現地では3箇所ほどの屋敷跡が見られ、山側では2箇所の墓地を確認(写真2・8)。墓地のうち北側にあるもので、中地姓が確認できた。また灌漑設備と思われる遺構も見られた(写真10-12)。家屋等は山側に集中し、川側は広く農地であったよう。北側では下流に向かって堤防のような構造物(写真15)が延びているが、完全に囲ってはおらず下流に向かうと次第に消滅する。
 
なお大字の領域は左岸にも及び、三舞山の稜線が東から北の境界となっている(右岸の境界は概ね南北の稜線筋)。

※ 鈴木七右衛門重秋は、江戸時代後期、町内安居(あご)(当時安居村)の庄屋。安居邑暗渠の建造に尽力。向平(むかいだいら)‐寺山(てらやま)間の山腹に暗渠を穿ち、寺山・安居に水利をもたらした(文化2〔1805〕年完成)

 


(写真1 降り口の碑)


写真2 墓地(集落入口付近=南側)

写真3 集落到達箇所

写真4 神社跡?

写真5 屋敷跡

写真6 屋敷跡

写真7 崩れた石塔

写真8 墓地(北側)

写真9 写真8墓石。「神宮寺」の文字が見える

写真10 灌漑設備?

写真11 同

写真12 同

写真13 農地の痕跡?

写真14 同?

写真15 堤防?(上から撮影) 

 

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