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◆大渡(おおわたり)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「十津川」(昭和28.6)を使用したものである

所在:十津川村神下(こうか)
地形図:大沼・瀞八丁/十津川
形態:道沿いに家屋が集まる
標高:約180m
訪問:2008年10月・2010年10月(
HEYANEKO氏と共同)

 

 村の南東部、神山(こうやま)集落の下手にある。葛(くず)川と神山谷の合流部。神下の「バン」のひとつ。古い地図では3軒の建物が見られる。
 
大杉の方の話では、かつては5軒の家があった。川沿いに道路ができてから生まれた比較的新しい集落(昔は山中に延びる道が主要道だった)で、学校(葛川小学校神下分校)(写真1)もその際に大杉より移転され、敷地もその時に造成された。農地は持たず、シイタケ栽培をしている家もあった。かなり昔は商店があったそう。
 集落には学校・2軒の人家(写真2)・少し離れた下流側に何かの建物があった。学校の跡地には碑が建っているが、これによると明治5年7月に創立(大杉)、昭和42年3月休校。後に幼児の保育施設として利用されていたようで、玄関には「葛川幼児教室」の看板が掲げられている。以下は『十津川学校史』より学校の沿革(抜萃・一部改変)。

 明治5.7  民家を校舎として大杉に上山学校を創立。学区は大杉・小佐古・東野有蔵・田戸・杉原・神山・下葛川・向峯・北又の10村であるが、北又は遠距離であるため玉置川小学校にへ委託
 明治14.11  神山小学校と改称
 明治20.4  神山村・下葛川村が合併、神下村となり神下尋常小学校と改称
 明治41.5  葛川尋常高等小学校神下分教場となる
 昭和16.4  葛川国民学校神下分教場と改称
 昭和22.4  葛川小学校神下分校と改称
 昭和32.6  校舎を大渡に新築し移転
 昭和42.3  統合のため廃校

 また『十津川の地理』によると、昭和34年5戸21人。

 


写真1 学校



写真2 遊具


写真3 人家

 

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