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◆大杉(おおすぎ)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「十津川」(昭和28.6)を使用したものである

所在:十津川村神下(こうか)
地形図:大沼・瀞八丁/十津川
形態:川沿いの斜面に家屋が少数集まる
離村の背景:(1世帯現住)
標高:約280m
訪問:2008年10月

 

 葛(くず)川の左岸にある。神下の「バン」のひとつ。古い地図では4軒くらいの建物が見られ、うち1軒は学校。
 最近の地図には地名は疎か建物も記載されていないが(畑地の記号はある)、民家(写真1)があり住民がいる。
 集落ではこの家のほか数軒の家屋が見られた。現住民家の上に廃屋(写真2)があるが、このさらに上には学校の跡地がある(写真4)。家の方に伺い見つけることができた。土地は凡そ石垣によって3段になっており、中段には建物の基礎や瓦・何かの溝(便槽?)・壜のかけらなどが残っているため、校舎があったと思われる。下段には何も残っていなかったが校庭だろうか。上段はやや狭く、石積みの塀があるが空いた部分が門のようになっている。水瓶や壜などが残るが、何の場所だったかは分からない。
 在住の方の話では、かつては5軒の家があり、林業・炭焼き・畑作(自給用の麦・芋など)で暮らしていた。現在は、半ば趣味として道の駅に茶などを出荷している。この家を除き最も遅く転出したのは40年くらい前(1960年代後半)。学校は葛川(くずかわ)小学校神下分校で、50年くらい前まで校舎があったが、葛川沿いに道路が開通してから
大渡移転した(沿革は大渡のページ参照)。北は下葛川、南は田戸(たど)東野有蔵までが校区だった。下葛川から杉原大杉東野・有蔵を通る山道は昔の熊野街道で、葛川沿いの道路ができるまではこの地の主要道路だった。
 資料『十津川の地理』によると、昭和34年3戸13人。

 


写真1 人家と山



写真2 廃屋


写真3 石仏

写真4 学校跡

 

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