◆川向(かわむき)
所在:身延町川向
常葉(ときわ)川下流、波高島(はだかじま)の集落より対岸を望んだ山中にある。桃ヶ窪のさらに上部。 4〜500年前、平家の落人(宮城県にある「スズキ」というムラの出身)が住み着いたことが集落の起こり。いったん大垈(おおぬた/オンタ)(身延町にある集落)に落ち延び、いくらかの家がここから分かれて来た 最近の地図では桃ヶ窪よりも先に道が記載されていないが、集落まで山道が延びている。現地では数箇所の屋敷跡のほか、墓地(写真3)や地面に作られた貯水槽が残る。宅地を除いてもなお平坦地は広く、かつては平らな農地が広がっていたのだろう。「野球もできるくらい広かった」という先の方の言葉も納得できる。 なお大字川向は、もとは西八代郡大河内村大垈(おおぬた/オンタ)(※)字川向。明治22年7月、富里村(昭和29年より下部町)の大字として編入。はじめ雑穀・芋・豆類を主とする農業が中心。のち養蚕業が盛んになる。コウゾ・ミツマタの栽培は大正期まで、薪炭生産は昭和まで続いた(「角川」)。 ※ のちの身延町大垈
|
|
|
|
|
|
|
|