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◆上生野(こうじくの)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「但馬竹田」(昭和30.8)を使用したものである

所在:朝来市生野町上生野(いくのちょう―)
地形図:但馬新井/但馬竹田
形態:川沿いに家屋が集まる
離村の背景:ダム建設
標高:約360m(水面は約380m)
訪問:2010年11月

 

 町の東部にある。集落は市(いち)川沿いで、大字内で最も下流。現在は生野(いくの)ダムの人造湖(銀山(ぎんざん)湖)に水没している。
 湖上の小さな島には神社がある。付近の看板によると「淤加美(おかみ)神社」(水神さん)で、丹生川上(にうかわかみ)神社下(しも)社より祭神(闇〓(くらおかみ)の神)(※1)を分祀したもの。
水没した神社を遷したものではないよう。また湖畔にある店舗の敷地内には「懐郷碑」(昭和45年建立。写真3)が建っている。以下はその全文(■は判読できず。日没時に書き写したため、誤りがある可能性がある)。


 四囲に青山を負い清流に臨むこの盆地に集落あり 本邑
菅町魚ヶ瀧を繋絡する上生野即ち是なり 祖先墳塋の地を傳承して其歴史一千年を超ゆ 八幡の神徳法道禅林の佛果を享けて和合す 諸作亦豊饒邑民而うして安住せり ■■西播地帯に係る要水源を此地に選定す 邑民この公共の大義に順應して克く協力以て一大堰堤築造に先ち全戸挙げて此地を離る 而して郷土は遂に碧潭と化して再び還らず 冀くは其使命を発揮し更に山紫水明の勝景に依り以て町発展の先駆たらん事を さもあらばあれ眼下に此変容を眺望する時洵に懐郷の感禁じ難きものあり 邑民相圖って此〓(※2)に一碑を建立して思望の不滅を後代に遺さんとす

※1 〓はあめかんむりに「龍」。本来は間に「口」が3つ入ると思われる
※2 〓は「處」の異体字。とらかんむりに「匆」


 また転出世帯は以下のとおり。

地区
登組 竹村3・中寺3・小島2・桑原・高木・田村・橋本・早草
中組 小島3・杉野3・小川・斉藤・橋本
上組 斉藤3・中戸2・竹村2・青石・井上・河内・小島・杉野・橋本
下組 竹村4・小川・小島・斉藤・中戸・橋本・森本
菅町 菅町のページ参照
魚ヶ滝 魚ヶ滝のページ参照

 

 なお「角川」によると学校は生野中学校上生野分校(昭和23年開設、同28年独立)。神社は八幡神社、寺院は法道寺(臨済宗)。昭和48年生野ダム完成に伴い、地上物件は県、土地は町それぞれで買収、全戸67戸が当地を離れ無人となった。そのうち34戸が町内円山(まるやま)地内の西山に転居、上生野集落を形成。

 


写真 集落付近(中央やや上に「水神さん」の社殿)

写真2 石仏

写真3 碑

 

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