◆尾坂(おさか)
※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「網野」(昭和24.5)を使用したものである
所在:京丹後市網野町尾坂(あみのちょう―)
地形図:丹後平/網野
形態:川沿いに家屋が集まる
離村の背景:災害
標高:約180m
訪問:2010年8月
町の東端にある。
水田で作業をしていた方の話では、覚えている範囲で10軒くらい。町内の市街地や丹後町徳光(とくみつ)などに転出していったそう。水田の管理はほとんどが丹後町是安(これやす)に委託されたが、入口近くの2枚は元住民が所有している。尾坂寺にあった菩薩像(後述の碑文参照)は、市の文化財に指定されている。
地図上では水田側・廃棄物処理場側から道路がつながっているが、水田側からの道は悪いと伺い、改めて処理場側から訪問。集落の入口には、「尾坂邨之跡」の碑が建つ(写真1)。ここより谷に沿って屋敷跡や農地跡が続き、平地のひとつには「尾坂寺趾」の碑がありここに寺院があったことを窺わせる。
以下は「尾坂邨之跡」に刻まれた文章の全文。
尾坂邨古発祥天平時代在伝承伴尾坂寺盛衰戸数変動近世明治大正年代十三戸不図昭和三十四年九月廿六日夜依伊勢湾台風家屋耕地受甚大被害道路寸断到孤立当時下記六戸者決意移住昭和三十七年七月立脇神社(※1)愛宕神社於網野神社境内脇宮昭和三十八年七月尾坂寺本尊聖観世音菩薩及薬師如来於徳運寺尓(※2)祠移斯而昭和三十五年五月至昭和三十九年八月全戸別里於是尾坂邨到畢千年之歴史衆心〓【口の下に虫】(※3)居移 和協希禅栄
昭和五十七年二月十一日 建碑之碑
※1 尾坂にある神社(町誌より)
※2 「禰(祢)」の略か
※3 「雖」の略か
碑より姓と移転先は以下のとおり(碑文中の「下記六戸者」)。
姓 |
移転先 |
真柴(※4) |
島津(しまづ) |
〃 |
〃 |
沖佐々木 |
遊(あそび)(※5) |
真柴 |
網野 |
沖佐々木 |
〃 |
〃 |
徳光 |
※4 すべての「真」は異体字。「直」の下に「ハ」
※5 町内掛津(かけつ)にある集落名
なお大字尾坂は近世の竹野郡尾坂村。明治22年島津村の大字。昭和34年伊勢湾台風を契機として、昭和39年までには全戸離村 (角川)。
論文「丹後地方における廃村の多発現象と立地環境との関係」によると、明治初期12戸?、昭和25年7戸、昭和33年7戸、昭和36年に無人化。
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