◆桃ヶ窪(ももがくぼ)
※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「身延」(昭和22.6)を使用したものである
所在:身延町桃ヶ窪
地形図:切石/身延
異表記:桃窪・桃ノ窪(いずれも「もものくぼ/モモンクボ」)
アクセント:モモガクボ・モモノクボ・モモンクボ
形態:山中に家屋が集まる
標高:約320〜350m(国道は約200m)
訪問:2010年3月
常葉(ときわ)川下流、波高島(はだかじま)の集落より対岸を望んだ山中にある。
地元の方(川向出身・波高島在住)の話では、かつては6軒。昭和40〜45年にかけて波高島に転出していった。炭焼きで収入を得る傍ら、自給用の畑で耕作を行っていた。武田氏の子孫であり、各戸の家紋は「四つ割菱」。
現地を訪れると家は2軒が残っているが、残り4軒は跡地となっている。墓地は集落の東端と北よりの場所で確認。家々を見渡せる場所には半鐘の櫓(写真3)も建っている。川向への道の途中には神社(写真6)も残っている。
なお大字桃ヶ窪は近世の八代郡桃ヶ窪村。明治後期、富里村(昭和29年より下部町)の大字となる。川沿いの低地では水稲、山の緩傾斜地では雑穀・芋・豆類・コウゾ・ミツマタの栽培、入会山地では薪炭・堆肥作り・木材の伐採を行っていた。のち養蚕業が盛んとなる(「角川」)。
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