◆明円(みょうえん)
所在:十津川村小森(こもり)
大字小森の西部にある。小森西部には行仙(ぎょうせん)岳より派生する稜線が南北にが走っているが、集落はこの稜線を西側に少し越えた場所。山手(やまて)川の流域になる。 谷垣内(たにがいと)の上ミでは明円が最も早く開けた村で、家も5軒あったが今(※)は荒れ果てて植林されている。30年前には1軒が残っていて明かりが見えた。村址は谷垣内・那知合の高みからはっきり指摘される。 ※ 昭和37年当時 また同書による出身者の聞き取りから、家々は以下のとおり(括弧内は屋号)。 北本(ニシダ)・西(マエザコ)・西(ムネザコ)・森本(モリモト)・西(サカモト) 以下は『十津川村の地理』にある記述。 十津川村史の解明に尽力し、『十津川郷』(昭和7年)や『十津川郷士及亡命志士列伝』(昭和8年)を著した西田正俊氏の生誕地。地名の由来は、南北朝時代に大塔宮護良親王御潜行の際、尼明円が橡粥を宮に差し上げたことによる。付近には尼にまつわる伝説地もある。
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写真1 屋敷跡 |
写真2 何かの跡 |
写真3 墓地 |
写真4 明円(妙円)尼の墓 |
写真5 石垣 |
写真6 神社の跡? |