◆蓮(はちす)
※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「高見山」(昭和27.1)を使用したものである
所在:松阪市飯高町蓮(いいたかちょう―)
地形図:七日市/高見山
アクセント:ハチス
形態:川沿いの斜面に家屋が多数集まる
標高:約420m〜500m
訪問:2009年1月
櫛田(くしだ)川の支流、蓮川の上流にある。古い地図では15軒弱の建物と学校が見られる。県道569号の始点にあたる。
集落に入ってすぐにハンターに会ったが、一緒に来ていたもう1人の方が蓮の出身者で詳しいことを知っているそう。集落探索後に再び挨拶したが、残念ながら会うことはできなかった(猿山の探訪中に、軽トラで帰っていくのが見えた)。
集落は斜面に家屋が散在し、屋敷跡が多く見られた。建物はほとんど残っていないが、流し台がいくつも残っているのが特徴的。集落最上部の屋敷跡の一角には、「西切不動尊」があり(写真15)、灯籠には享和元年と刻まれている。台座は新しく、昭和56年3月小椋氏による設置。集落入口には整地された広い敷地があり、おそらく学校があったのだろう。
町郷土誌によると、大正時代には近代的な乾溜工場があり、酢酸・メチルアルコール・木炭といった産物を出荷していたという。神社は村社の八柱神社(字泉)のほか、無格社の山神社(字井戸尻)。寺院として蓮生寺(曹洞宗)があり、東漸寺に併合された。森小学校蓮分校は、明治17年飯高郡第27学区大俣学校の第二分校として開校、昭和46年閉校(※)。また森中学校蓮分校は、昭和24年閉校(開校の記載なし)。
なお大字蓮は、近世の蓮村。明治22年飯高(いいたか)郡森(もり)村、昭和31年からは飯高町の大字となる。明治2年13戸・76人、昭和35年59戸・370人、同50年25戸・79人、同57年24戸・64人。昭和31年電灯が引かれる。同34年電話架設。
※ 同書には「町内小学校系統表」があるが、表記の意図を判断しかねる部分が多く変遷は省略した
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