◆十九良(つづら)
※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「新宮」(昭和28.4)を使用したものである
所在:田辺市本宮町静川(ほんぐうちょうしずかわ)
地形図:本宮/田辺 皆地/田辺
形態:緩い谷に家屋が散在する
標高:約230m
訪問:2009年4月
大塔(おおとう)川の支流、十九良谷の中流にある。古い地図では3軒くらいの建物が見られる。
地元の方々(静川の平(たいら)在住)の話では、かつては5、6軒の家があり、50年くらい前に無人になった。さらに紹介していただいた山に詳しい方によると、十九良は平家の落人が住み着いた集落。平で伺った話とは違い、明治初期に無人になったという。転出先は平のほか、同じく静川の白河(しらこ)。近くの山の頂には神社があった。埋めた宝のありかを表すと思われる、「朝日さす、夕日輝くミツバウツギの下にあり」という伝承があり、実際に昭和30年代くらいに集落付近で鏡(平家に関するもの?)が発掘された。熊野速玉神社の宮司が東京で鑑定してもらった結果、歴史的価値があるものと判明、当時の金額で100万円で譲ってくれるよう交渉されたが、これを拒否。白河の和田家に保管されることになった。
集落への道は、平とホイホイ坂の中間にあるお宮さん(高倉神社)の裏手からつながっているのだが、現在は途中で消滅しているそう。林道(ホイホイ坂線)から谷に降り、谷沿いに歩いて行くことを勧められた。実際に谷に降り歩いてみたが、長靴があるほうが良い。
余談だが、付近にある「ホイホイ坂」は、向かいの山に向かって「ホイ」と叫ぶと「ホイ」と山彦が返ってきたことからこの名がついたという。
集落跡は緩い谷になっており、これに沿って水田の跡が石積みで段々になっている。屋敷跡(写真2)と確認できる場所は1箇所しか分からなかったが、墓地(写真5)を確認。また十九良谷沿いにも所々田の跡が散見される。十九良由来のものだろうか。
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