◆松木(まつぎ)
※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「男體山」(昭和21.2)を使用したものである
所在:日光市足尾町(あしおまち)
地形図:中禅寺湖/男体山
形態:川沿いに家屋が集まる
離村の背景:公害
標高:約780m
訪問:2009年3月・2019年5月
渡良瀬(わたらせ)川の支流、松木川沿いにある。古い地図では4軒ほどの建物と神社が見られる。
現在は足尾銅山で排出された残滓(カラミ)の堆積場となっているほか、採石関係の施設が稼働中。
2019年再訪。前回見落としていた墓地や小祠を確認した。さらに現在は緑化に取り組む法人の活動拠点が設けられ、敷地内で育苗なども行われているよう。
なお付近にある銅(あかがね)親水公園の一角には石造物が集められているが(写真14)、このうちの石灯籠は当地から移設されたもの。ほか「喚鐘」も当地にあった寺院のものであるとの説明があるが、実物は見当たらない。以下はその説明文。
この石灯籠と喚鐘は、遠いむかし、松木村にあったものです。灯籠には「男體山」と刻まれています。男体山は信仰の山として知られ、古くから、県内各地で男体山登拝講が盛んに行われていましたので、その頃のものと思われます。喚鐘は村の寺院におかれ、火事のほか、人の集まりの時などに使われたものと思われます。
『足尾郷土誌』によると、明治20年4月8日に大規模な山火事が発生し焼失したとのこと。松木のほか、仁田元・久蔵・赤倉・間藤・田元まで広大な山林と人家に被害が生じた。林地は通常数年で回復するが、製錬所からの排煙により幼木の生育は妨げられ、山地の荒廃は進み、やがて草木の生えない裸地となった。煙害は養蚕を中心に明治16年頃から始まる。明治21年には桑の木が全滅し、翌年には養蚕が廃絶。農作物(大麦・小麦・大豆・小豆・稗・黍・大根・人参)も同33年までには無収穫となった。
明治25年まで40戸270人程度であったものが、同33年30戸174人に減少。同34年には1戸を残し全員が離村。
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