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◆青田(おおだ)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「高見山」(昭和27.1)を使用したものである

所在:松阪市飯高町青田
地形図:七日市/高見山
アクセント:オーダ
形態:川沿いに家屋が散在する
離村の背景:一部がダム建設、その後集団移転
標高:
訪問:2009年1月

 

 櫛田(くしだ)川の支流、青田川沿いにある。
 上組・中出組・中屋組・下組の4集落からなるが、該当する地域は未調査。上流では改修された家々が残り、訪問時も何軒かの灯りが点っていた。
 古い地図で学校が記載されている場所?(写真3)には、整備された広い敷地と「想」と題された碑がある(全文は
こちら )。 また寺院(盛傳寺)の跡地にも碑がある。以下は碑に刻まれた文章。

蓮ダムに伴い青田及び清瀬地区の檀徒も移転のやむなきに至る 従って当寺の維持が困難となり雲林寺と合併することになる
参百余年の長い歴史をここに閉じる

 平成二年 盛傳寺檀家一同

 最上流でアマゴの養殖をしている方(で会った方によると常住)の話では、かつては83軒の家があり、移転先は町内森(もり)の犬飼(いぬかい)とのこと。盆や正月など時々戻って暮らす家もある。この方は昭和20年代に大阪に転居、平成に入って戻ってきたためその間のことは詳しく知らないそう。
 町郷土誌によると、大正時代には近代的な乾溜工場があり、酢酸・メチルアルコール・木炭といった産物を出荷していたという。神社は村社の八柱神社(字古瀬町)のほか、無格社の山神社(字古瀬町)や八幡社(字木屋谷)があった。寺院は盛伝寺(曹洞宗。山号は高獄山)。当地にあった深山小学校は、明治17年飯高郡第27学区大俣学校の第一分校として開校、昭和55年閉校(※)。また森中学校青田分校は、昭和42年閉校(開校の記載なし)。
 
なお大字青田は近世の青田村。明治22年飯高(いいたか)郡森(もり)村、昭和31年からは飯高町の大字となる。明治2年36戸・200人、昭和35年113戸・496人、同50年86戸・285人、同57年61戸・189人。昭和22年電灯が引かれる。同33年電話架設。

※ 同書には「町内小学校系統表」があるが、表記の意図を判断しかねる部分が多く変遷は省略した

 


写真1 廃屋

写真2 屋敷跡

写真3 学校跡地?

写真4 何かの建物

写真5 寺院跡の石段

写真6 寺院跡の碑

 

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